ー Undercover ー

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 突然名前を呼ばれ、久保が鼻をほじっていた手を止めた。 「ボクっスか?」 「お前はJIT本社と研究棟の両方に来た全てのメールを確認して、不審なやり取りをしている人物がいないか調べろ。特に『プログラム』に関するメールは重点的にな」 「は~い」  奏真は密かに身構えた。ベテラン刑事2人が外回りで後輩がメールのチェック。という事は、社員の身元・身辺調査あたりが回ってきそうだ。JIT社は本社だけでも相当な社員が在籍している。それを個別調査するとなると、相当骨が折れる。そんな心の声を聞き取ったかのようなタイミングで、田辺課長の鋭い視線が向けられた。奏真は唾を飲んだ。田辺課長の指示を受ける時はいつも緊張する。 「三堂」 「はい」 「お前には当分、ここから離れてもらう」 「はい……はいっ!?」  一瞬、聞き間違えかと思った。でも、間違いじゃない事は妙に表情を硬くしている課長の様子からも明らかだ。 「えッ!? 課長っ、離れるって俺っ――」 「嫌っスよおおぉぉぉ!!」  対面から噴き出した悲痛な声が、奏真の言葉を遮った。突然立ち上がって天を仰いだ久保が、いきなり半泣き状態でわめき出したのだ。 「三堂センパイが左遷なんて嫌っスよぉぉぉ!! 課長ッ、センパイじゃないんです!! テロ訓練日を間違えて駅にSATと爆弾処理班を出動させたのもっ、課長名義で全国お取り寄せスイーツ頼んだものっ、庁内広報の警視長の顔写真に鼻毛書いたのもっ、ホントは全部ボクなんスよぉぉぉ!!」 「知ってる」 「うう…三堂センパイは今日、鳥クソまみれになって、彼女にもこっぴどくフラれて散々なんです…うっ、それでもセンパイは、何事もなかったみたい仕事して…ポジティブ思考っていうか、ミジンコぐらい単細胞っていうか、ゴキブリ並みに神経鈍くたって痛みは感じてるんです! 必死に生きてるんです!! それなのに左遷なんてひどっ、ひどっ、ひどすぎるぅ!!」 「左遷じゃない」  わーんと泣き出した久保に、課長は死人めいた冷静さで告げた。 「三堂にはしばらく移動してもらうだけだ」 「へ? 三堂センパイ、ミスしまくってるから田舎に飛ばされるんじゃないんスか?」 「違う。ミスしまくってるのはお前だろ」 「なぁ~んだ、ボクの早とちりか、ハハハっ…あ! センパイ! 良かったっスね!」  今ここに銃があったなら…奏真は本気でそう思った。もしここに銃があったなら、クソやかましいこの勘違い男を永遠に黙らせる事ができるのに。 「久保ぉ…お前ぇ…とりあえず座れ。もう喋るな。息もするな。存在するな…課長」  ピクピクと眉が痙攣するのが自分でもわかる。湧き上がる殺意をどうにか腹の底に押し込めて、奏真は必死に平常心を保ちながら問いかけた。 「移動って、所轄に出向ですか?」 「いや、所轄じゃない。お前が行くのは…」  上司が棒でモニター画面のビル画像を弾く。その意味を察する前に、田辺課長の指令が鼓膜を打った。 「ここだ。三堂、お前には明日からJIT本社に潜入してもらう」 「潜入ぅ!?」 「ああ。任務はゴースト・ユーザーの捜索活動及び情報収集…つまり極秘の潜入捜査、アンダーカバーだ。ゴースト・ユーザーは何者なのか、組織的犯行なのか否か、サイバー攻撃との関連性も含めて捜査するから、お前は社内で情報を集めて容疑者を絞り込め。報告は定期的に…だが、くれぐれも慎重にな」 「慎重にって、課長待って下さいっ」  さすがに声が上ずってしまった。冷静さを保とうにも、跳ね上がった心臓の鼓動が邪魔をして言葉がうまく出てこない。 「ど、どうして俺なんですか!?」 「不服か?」 「いえ、そういうわけじゃありませんが、俺なんかよりもっと経験のある人がいるでしょう」 「というと?」 「例えば、杉谷さんとか…」  奏真が話し終わらないうち、杉谷が舌打ちした。 「おいおい三堂ぉ、そりゃねぇぜ。毎朝こうして出勤するだけでも体キツイのによぉ、その上一般企業のリーマンやれってか? お前、オレを過労死させる気かよ」 「でも杉谷さん、元は生活安全課で、麻薬がらみの潜入捜査した事あるじゃないですか」 「そりゃ15年も前の話だ。つーかお前なぁ、どんな事にも必ず最初があるんだから、ビビッてねぇで思いっきりやってこい。オレを生贄にするんじゃねぇよ」  杉谷の対面で、経験豊富な最年長刑事の倉本がニヤけながら呟いた。 「つっても、初めての潜入捜査がこんなデカいヤマじゃ、腰が引けるのも無理はねぇ。とんだ貧乏クジ引いたもんだなぁ、可哀想に。なんてったって今回は副総監殿のご勅命だ。失敗は許されねぇ」 「確かに、潜入捜査に失敗すりゃ誰かの首が飛ぶってぇのは警察の常識だ」 「ハハっ…倉本さんも杉谷さんも、脅かさないで下さいよ」 
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