ー Cool Beauty ー

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「じゃあ、今日は暑いからコールドにしますね」  ハルは対面を見た。晴天の空みたいに澄んだ瞳と視線がぶつかった。デレクは黙って注文の品を待っている。ハルもまた、いつものように微笑むと、カップに氷を入れ、冷えたフレンチコーヒーを注いで蓋をした。カウンターにカップを置く手が、緊張で少し震える。 「お待たせしました」 「……」  コーヒーを渡したのと同時に、デレクが3ドルを置く。これも3ヶ月間繰り返したお決まりのパターンだ。けれど今朝は少し様子が違っていた。3ドルの横に、デレクが紙袋をポンと乗せたのだ。カップを取るなりストリートに向かう背中へ、ハルは慌てて声をかけた。 「えっ? デレクっ、待ってこれっ……!」  呼び止めたが、デレクは立ち止まらなかった。ストリートの横断歩道に向かって歩いてゆく。 「ねぇハルっ、中に何が入ってるの?」  興味深そうにキャロルが言った。何だろう? ハルは恐る恐る紙袋の中を覗き込んだ。 「ああっ、ばあちゃんからもらった重箱!」 「ジュウバコ?」  ハルは袋の中を凝視した。袋の底にあるのは間違いなく漆塗りの高級重箱だった。風呂敷も綺麗に畳んで添えられている。だがハルの関心を強烈に引きつけたものは…… 「あっ、ハル! どこ行くの!?」  無意識のうち紙袋をひったくると、ハルは袋を胸に抱えて外に飛び出した。キャロルの呼び声に返事もせず、白い背中を必死に追いかける。 「デレク! 待って!」  ストリートの横断歩道の前で、ふと足を止めたデレクが振り向いた。強い陽射しに目を細めながら、静かに見下ろしている。 「ハァ……あの、これ……ハァ、返しに……来て、くれたの?」  全力疾走の所為で息が切れる。それでもハルは祈るような気持ちでデレクを見上げた。返事はない。静かな瞳がそこにあるだけ。でも、ハルは十分に満足だった。こうしてまた会えただけで、本当に嬉しい。 「正直もう、来てくれないと思ってたよ。あんな失礼な事しちゃった後だし、嫌われても仕方ないし……だから俺、またデレクに会えてすっごく嬉しいよ!」 「……」    ハルはとびっきりの笑顔を浮かべた。瞬間、トルコブルーの瞳が眩しげに細くなったのは、灼熱の太陽光の所為だろうか。デレクは少しの沈黙をはさんで、静かに唇を開いた。 「出張に行っていたんだ」 「え?」 「1週間、オーランドに行ってた。修学旅行の引率で」 「そうだったんだ! あっ、だからコレ……」  ハルは紙袋から"スペースシャトル"を取り出した。正確には、シャトルが印刷された葉書サイズのビニール袋。他のも同じように"地球"や"満月"の写真が印刷されている。なるほどと頷きながら、ハルは笑顔で見返した。 「オーランドから1時間ぐらいで着くもんね。ケネディ宇宙センターに行ってきたんだ……これはお土産? わざわざ俺に買ってきてくれたの?」  控えめに、というよりぶっきらぼうにデレクが言った。 「宇宙食だ。土産……いや、この間の料理の礼だな」 「食べてくれたの!?」  身を乗り出して、ハルは紙袋を抱き締めながらデレクに詰め寄った。何にも動じない彼にしては珍しく、少し困ったように表情が崩れている。どこか言いにくそうに口元を強張らせながら、気恥ずかしげにボソっと呟いた。 「あぁ……その……うまかった……ありがとう」 「いえいえ! こちらこそ!!」  感激のあまり、ハルは立ち眩みを起こしそうになった。あの手料理を、デレクが律義に食べてくれたなんて。絶対ゴミ箱へ直行したと思っていたのだが。 「うわぁ~マジで超うれしい! ねぇ、デレクは何が一番気に入った? 手羽焼き? それともエビ真丈(しんじょう)?」  デレクが気に入ってくれたのは、どのおかずだったんだろう。返事を待ちきれず、ハルは更に詰め寄った。勢いに気圧されたのか、絶対にブレないはずの瞳がほんの少し困惑している。 「強いて言えば、黄色いスパイラルの……」  一瞬、ハルは考えた。スパイラルとは渦巻(うずまき)という意味だ。ナルトなんか入れたかな。一通りオカズを思い出していて、ハっとした。 「あっ、黄色いスパイラルって"伊達巻(だてまき)"か!」 「ダテマキ……?」  訝しげにデレクが首を傾げている。なんて美しいんだろう。悩ましい表情もめちゃくちゃそそられる。 「そう、アレね、"伊達巻"っていう日本の伝統和食なんだよ。正月とか、祝い膳に振舞う料理なの。デレクは甘いの好きなんだ?」 「……君が言う"好き"の定義は知らないが」  そう前置きした時には、デレクはすっかり普段のクールさを取り戻していた。 「気に入ったか、という意味なら……まぁ、イエスだ……君は料理が上手なんだな」 「ありがとう! これでもシェフ志望だからね!」 「そうか……じゃあまた」  もう用事は済んだとばかり、デレクが横断歩道に向かって歩き出す。咄嗟にハルは引き止めた。 「ああっ、ちょっと待って! ねぇっ、 今度の土曜日って何か予定ある!?」  今度は自然に言葉が出た。もう遠慮しない。計算も小細工もなし。相手の反応を怖がって控えめに接するなど、そもそも性分じゃないのだ。ハルは一歩前に出ると、満面の笑顔を向けた。高揚感で自ずと声も弾む。 「来週の水曜は5月5日、デレクの誕生日だよね?」 「そうだったな……忘れてた」 「お祝いしようよ! ちょっと早いけど、土曜日にやろう! 平日は忙しいでしょ? 俺も土曜は休みだし!」 「祝う? 君がオレの誕生日を? なぜ?」  首を傾げながら、デレクが不思議そうに見返してきた。
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