ー Cool Beauty ー

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ー Cool Beauty ー

 天気予報によると、この先も当分雨は降らず、晴天がしばらく続くという。  マイアミ市内全域に乾燥注意報が発令され、屋外での火の取り扱いには注意するようにと、キッチンに備え付けの小型テレビで気象予報士が訴えていた。 晴天・乾燥・熱中症の危険がある日は、カフェの冷たい飲み物が飛ぶように売れる。氷と混ぜる冷製コーヒーはより深い味わいになるように、ハルは手間をかけて抽出していた。爽やかな酸味と軽い苦味が絶妙なハーモニーを奏でるハルの技ありの一品は、舌の肥えたダウンタウンのコーヒー通たちにもすこぶる受けが良い。今も、冷製コーヒーとベーグルをテイクアウトした常連の美女は、満足そうに手を振りながら帰っていったのだが……… 「ハァ~……」  もう、何回目だろう。がっくりと首を折って、ハルは重たい溜息をついた。全て自分の不徳の致すところと頭じゃわかっていても、心がなかなか追いつかない。 「ハル……」  サンドイッチを補充していたキャロルが、心配そうに顔を覗き込んできた。先日の大失敗については既に報告済み。あの時はキャロルに心配をかけたくなくて、やっちまった~! と笑ってみせたけど、あれから1週間、毎日通ってくれたデレクがぱったり来なくなった現実を目の前にすると、空元気を装う余裕もなくなった。自然と、溜息が漏れてしまう。 「ハル、ごめんね」  隣でキャロルが申し訳なさそうに詫びた。 「あたしが"家庭教師をしてることにすればいい''なんて余計なこと言ったから……」 「いやっ、キャロルの所為じゃないよ!」  ブンブン首を振って、ハルは全力で否定した。女の子にこんな心配させるとは、自分はなんて情けない男なんだろう。しょんぼり(うつむ)くキャロルに向かい、ハルはありったけの元気を振り絞って微笑んだ。 「むしろ俺は背中を押してもらって感謝してるんだ。しくじったのは俺がドジで、Pをプリン体とか言っちゃうバカだったからだよ。キャロルが悪いわけじゃない」 「でも……」 「大丈夫! そう……大丈夫。きっとまた……どこかで会えると思うから……」  脳裏に、凍てついたトルコブルーの瞳が甦った。静かで冷たい氷の眼。あれは、憤りというより傷ついた目だった。瞳の奥で揺れていたのは、怒気ではなく感傷。あの時のデレクは、何か大切にしていた物が壊れてしまったかのように、とても悲しそうだった。 「ハァ~……」 「ハル……」 「あぁ、ゴメン」  また溜息が出ちゃった。落ち込んだって仕方ないのに。未練たらしくウジウジしていることに腹が立つ。こんなの、男らしくない。自分らしくない。しっかりしなきゃと、ハルは根性で己を奮い立たせた。 「ホント平気だから気にしないで。俺はまだ諦めてないから」 「え?」  不思議そうに見返してきたキャロルに、ハルはぎこちなく笑いかけた。また会える保障なんてないが、それでも自分に言い聞かせるように告げる。 「俺はまだ諦めちゃいない。もう一度会えたらその時は、許してもらえるまで謝りまくって、今度こそ、好きだって告白する!」 「ハル……」 「だからさ、そんな悲しそうな顔しないでよ。諦めの悪い所が俺の良い所なの!」  それまで眉をハの字に下げていたキャロルが、プっと小さく吹き出した。今度は困った顔をしながらクスクス笑う。 「何それ、変なの」 「よく言われる!」   お互い顔を見合わせながら、ハルは笑った。心の中は晴れないけれど、こうしてムリにでも笑っていれば少しは気が紛れた。  きっと、デレクはもう二度と来てくれない。  考えてみると、ここで毎日会えたのは奇跡だった。グリーンヒルパークの近くにも、規模は小さいが似たような公園が点在していて、そこにも同じように4tトラックを改造した移動式カフェの支店がある。バス停からの距離で言えば、ここよりイーストパークにある支店の方が近いのだ。  今にして思えば、デレクはお礼のつもりでわざわざ寄ってくれていたのかもしれない。本当はイーストパークの方が近いのに、義理堅くここへ足を運んでくれたのは、雨の日に受けた恩を返すため ――― ハルは密かに拳を硬く握りしめた。マズイ。涙が出そうだ。    どうして気づけなかったんだろう。小賢しい芝居などして近づかなくても、デレクはとっくに心を寄せてくれていたのに ――― 「ハルっ」 「ん?」  突然、キャロルが大きく目を見開いた。そばかすが散った顔を強張らせ、唇を震わせている。ハルが先輩店員を訝しげに見返した、次の瞬間。 「――フレンチを」 「えッ!?」  首がへし折れるぐらいの勢いで、ハルは背後を振り返った。聞き馴染みのある深い声音。黄緑色のサンバイザーの下には、もう二度と会えないだろうと覚悟していたはずのポーカーフェイスが静かに立っていた。 「デレクッ……!」  幻を見ているんじゃないだろうか。一瞬、ハルは本気でそう思った。でも、幻じゃない。本物だ。ボタンダウンの白いYシャツを羽織ったデレクが、少し長めの前髪の奥からトルコブルーの瞳をじっと向けている。 「ほらっ、ハルっ」 「あっ、はい!」  キャロルに肘で突っつかれ、ハルは我に返った。驚き過ぎて、というより感動で、息が喉に張り付き呼吸が上手くできない。それでもなんとか喉を押し開いて、ハルは声を絞り出した。 「あ、あのっ、ホットですか? コールドも用意してますけどっ」 「……君に任せる」  優しい響きだった。許してもらえないと覚悟していたから、余計にデレクの寛大な気持ちが心に深く染み込んでくる。また来てくれたという嬉しさと、少なくてもウソを許してもらえたという安心感で、張り詰めていた緊張の糸が一気に切れた。途端、胸からじんわりと熱い想いがこみ上げてくる。
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