第1章

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 雨の日の海なんか、誰も来ない。窓越しの雨音が、微かに耳に届く。 「雨、強くなってきたね」 「そうですね」 「お客さんも来ないし、暇だね」 本当に、お客さんなんて瀬乃さんくらいだ。検品も陳列も終わり、私はレジに入った。 「俺、ちょっとトイレ掃除してくる」 そう言ってまた姿を消した。この調子だと、夕方の帰宅ラッシュまでお客さんは来ないかな。コロッケだけ、揚げておこうかな。 なんてボーッと考えていると、瀬乃さんが現れた。手にはビニール傘だ。 「雨、止みそうにないからやっぱり帰るよ」 「じゃ、袋取っておきますね」 「ありがとう」と笑う彼。その笑顔が嬉しい。お客様は神様だなんて言うけど、彼は本当に神様のようだ。 たまに、疫病神のようなお客様もいるけど……。  入店のメロディーを掻き消して、「コロッケ!」と大きな声が響いた。入ってきたのは中年の髪の薄いおじさん。その声に、瀬乃さんもビクッとなっていた。  あれ、今、コロッケって言った?  サッとフライヤーを見てくる。コロッケは揚げ物の中でも時間がかかる方だ。 「すみません。今、コロッケ揚げてるところでして、あと5分ほどお時間頂いても宜しいでしょうか?」 おじさんはまるで瀬乃さんなんか見えていないかのようにレジの前に立つ。瀬乃さんはおじさんの声に圧倒されたまま、押し退けられるように横へズレた。 ギロリとおじさんの目がこちらを見る。え、私、睨まれてる? 「ああ? 時間ないんだけど」 「申し訳ございません」 「いいや、メビウス」 「……?」 頭を上げたとき、バチッと視線が瀬乃さんと合った。とても気まずそうな顔をしている。私は慌てておじさんに向き直った。 「ボックスで宜しいでしょうか?」 「あ? ヘコむやつ」 初めて聞く表現だったが、多分ソフトのことだろう。 「こちらで宜しいでしょうか?」と商品を見せると、またギロリと目が向いた。なんだか怖い。 「その隣なんだけど」 唖然とする。
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