―序章―

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 (うら)(どお)りの地下にある(かよ)いなれた喫茶店の前まで行きついたところで、ようやくほんのわずか、うしろ()にちらりと視線をよこした(かず)()さんは、それでも立ち止まることなく、自分ひとりさっさと階段を()りて行ってしまった。  大勢の若者やカップルで(あふ)れかえる、大通り沿()いに(なら)(しゃ)()たカフェなどと(ちが)い、(ひと)()につきにくい脇道を入ったうえ、大きな看板をだしていないこの店は週末でさえ客もまばらだ。広いと言えない店内はわざと照明をおとしているのか、いつも(うす)(ぐら)い。  とはいえ、ドリップ()()ての珈琲や、メニューに(うた)った軽食もそれなりに味は()く、なにより、テーブルごとを()(かく)し代わりに区切っている大ぶりの観葉植物――そのおかげでさほど周囲に気を遣う必要のないこの店を、このひとはとても気に入っている。  大通りにある大型書店へ行ったときには、こうしてたいがいここに寄ってから帰るし、やはり今日も(たが)わず、ここで遅めの昼食をとることにしたようだ。  もちろん、オレだってそれくらいの予想はしていた。  そう。()()はしていたのだ。  それでもただひとこと、こう言いたい。  ――だったら、そう言ってくれたらいいのに。  行き先も()げずひとりさっさと行ってしまった(つめ)たいひとに、小さく嘆息(たんそく)した。  そのひとの名は櫻井(さくらい)(かず)()。  オレよりふたつ年上で、ふたりの関係を()われたら、幼馴染だ、と言うようにしている。今のところ、それ以上にしっくりくる言葉が思いつかない。
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