余命三ヶ月の母

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「あら、アザミちゃん、お買い物?」 すれ違いざまに声をかけたのは看護師長の安土(あづち)だった。 大柄でのんびりとした感じの人だが、なかなかどうして、無駄のない動きでキビキビと働く仕事熱心な人だ。だからだろうか、自分に厳しい分、仕事仲間にも厳しいらしい。 「こんにちは。はい、売店まで行ってきました」 アザミの答えに安土がクッと口角を上げる。 「相変わらず礼儀正しいわね。うちの息子たちよりずっと大人に見えるわ」 褒めているように聞こえるが、ここで尻馬に乗ってはいけない。万が一肯定しようものなら、途端に牙を剥き出すのは火を見るよりも明らかだからだ。 それは安土が息子たちを溺愛していることにある。 彼らを少しでも悪く言おうものなら、『信頼の置ける良い看護師長』から『嫌味で意地悪な看護師長』に豹変してしまう。それは病棟でも周知の事実だった。 だから、こういう時は上手にかわさなければいけない。 その手段として、アザミは皆から『天使の微笑』と評される笑みを使うことにしていた。この蠱惑(こわく)の表情には、大抵の人が惑わされ、その場を誤魔化すことができるのだ。 「本当、アザミちゃんって可愛いわね」 案の定、安土もだ。 「何度も言ってるけど、息子のお嫁さんにしたいほどだわ。検査技師と理学療法士、どっちがいい?」 これは彼女の真意ではない。プライドの高い安土が火傷痕の残る少女を、大切な息子の嫁になんて……西からお日様が登るよりありえない話だった。 アザミは心の中で中指を立て、クシャンと大きなくしゃみをした。
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