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「この子は可哀想な子でしてねぇ」
祖母のお喋りがまた始まった。始まりはいつもこの言葉からだ。
――うんざりする。
「もう私も六十八歳でしてね、あと何年生きられるか。不憫なこの子を残して死ぬに死にきれませんよ」
芝居がかった物言いは、まるで往年の大女優のようだ。
――反吐が出る。
実際、祖母は大昔に大部屋の女優だったらしい。だが、それは過去だ。今じゃない。だから誰か『病室は舞台じゃないよ』と祖母を諌めてくれないだろうかと思ってしまう。
しかし、悲しいかな、未だにそういう人は現われない。なので祖母は壊れた機関銃のように言葉を発し続ける。
「何が可哀想って、この子の母親はね、この子が五歳の時に男を作って出て行っちゃったんですよ。本当、酷い女です」
その日のことは今も覚えている。小春日和のうららかな日だった。母は木漏れ日の中、スポットライトを浴びるように日射しを受け、晴れやかな顔で言った。
『アザミも本当に好きな人と一緒になりなさい』と。
そんな母の視線の先には見たことのない男性がいた。その人の腕に母は自分の腕を絡めて『バイバイ、アザミ』と言って遠ざかっていった。
あれから九年。当時は母恋しさに涙することもあったが、今は――。
じゃあ、あんたは好きでもない男の子供を生んだのかと、怒りを通り越して我が身の哀れさに嘲りの笑みが浮かぶ。
なぜ産んだ! どうして私はこの世に生まれてきた?
考えたところで答えなど出ない。なのに私はそれを考えずにいられない。何故なら、自分が何者か分からないことほど怖いものはないからだ。
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