落ち椿の夢

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落ち椿の夢

 花盛りの時期を過ぎ、少し黒ずんだ紅色の花が丸ごと落ちる。  ――落ち椿と呼ぶことを知ったのは、小学校三年生のころだった。 「そんな縁起の悪いもの、いつまでも見ているんじゃないの」  そう言って、母がしゃがみこんでいた私を引っ張っていく。その手の強さをよく覚えている。 「どうしてエンギが悪いの?」 「首ごと落ちるようだからよ」  お父さんに何かあったらどうするの――と、そう母は言った。  いまいち納得のできる話ではなかったけれど、母が嫌がっている内容はよく分かった。父は今、入院している。小さな私には詳しく教えてくれなかったけれど、難病であったらしい。  実際――  それから一年ももたずに、父はあの世へ旅立った。  それは椿が再び花盛りになる、冬のさなかのことだった。  その夜、夢を見た。とてもふしぎな夢――  父の夢だった。亡くなる直前の父。  父の周りを、たくさんの花が埋めている。見覚えのある花だ。母に近づくなと言われた花。椿。  椿が父の周り一面を――埋め尽くしている。  それはとても、とても美しい光景だった。幼い私が見とれるほどに。     
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