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第53話 小鳥と天使の不協和音
発情期から十日が経ってなんとか一人で動けるようになり、やっと大学に来れました。
どこの大学もそうだろうけど、うちも発情期で休講した分はレポートの提出で単位の穴埋めが出来るようになってるんだ。だから今日は休講した分の資料をそれぞれの教授からもらってこなきゃならない。ということで、講義が始まる前のこんな朝早い時間から登校しています。
田中君と安永君とは二コマ目の講義で合流する予定なんだけど、会うのちょっと恥ずかしいな。だって二人とも絶対生温かい目で見てくると思うんだ。Ωの発情期は生理現象とはいえ、十日も休めば先輩の溺愛を知ってる二人はどんな凄い事されたんだって想像するよね。まあ、実際されたけどさ……って、だめだ、思い出すな!
うぅ、先輩め。
僕は熱くなった顔を見られないように下を向いて早足で教授棟へと歩いていた。すると、その途中で僕を後ろから呼び止める声がした。
「あのっ、えっと日野さん?ちょっといいですか?」
ぼく?
振り向いたらおとなしそうな三人組だった。
「ちょっと僕達と来てください」
小柄で華奢な体格だから多分Ωだと思う。どこかで見覚えが……あっ、多分先輩といつも一緒にいる人達だ。ってことは、これは呼び出しかな?とうとう皆さんにバレてしまったんだな。そりゃ分かるよね、皆のいるところで発情期になって連れて帰られたんだもん。
誰でも憧れてる人に急に番が出来たらそりゃあいい気はしない。アイドルが急に結婚報道をしたら、ファンはロスになるし裏切られたって感じる人だっている。だから先輩に憧れてた皆さんが殺気立つのも分かる。
ということでおとなしくドナドナされていく。こっちから挨拶に行くのと呼び出されるのとでは全然違う。謝って自己紹介すれば仲良くしてもらえるかなあ……
怖々と後ろを付いていったら食堂に連れていかれた。早朝で人けもまばらな一階を通り過ぎ、二階のお洒落なカフェテラスへと上っていく。着いたのはいつも先輩と皆さんがおしゃべりしてる、吹き抜けの近くのテーブルだ。そこに待っていたのは、やっぱりそうだ、いつも先輩と一緒に行動をされてるΩの皆さんだ。
大学で有名な人たち、えっと、由緒正しき平泉家の綾音さん、それと天沼商会の淳也くんね、それと後ろにいつもの皆さん。
楚々とした印象の平泉さんは、儚げで守ってあげたくなる可愛らしい方だ。顔色が悪くて今にも倒れそうになっているのをボディーガードの幼なじみさんに支えてもらってる。
淳也くんは腕を組んで睨んでる。色っぽい美人の怒ってる顔って迫力満点。
他の人たちも泣きそうだったり怖い顔してたり。
「どうぞ」
「いえ、時間があまりないのですみませんがこのままで」
椅子を勧められたけど長居できないから断った。テーブルに置いてある紙コップのコーヒーは口をつけないので他の人に飲んでもらおう。
淳也くんが口を開いた。
「何で呼ばれたか分かってるよね」
「え……っと」
何て切り出そう。まずは「内緒にしててごめんなさい」かな?
「別れて」
「え」
「別れて。日野くん、だったよね。キミは自分が藤代さまと釣り合ってると思ってるの?」
「えっ」
能天気に付いて行った僕が想像もしてなかった言葉だった。
「藤代さまは稀少種だよ。分かってんの?」
「ええ、まぁ……」
あっ、失敗した。応えが悪かったみたいだ。みんながイラッとなってる。
「絶対分かってないでしょ……」
淳也くんの眉間に一層深いシワができた。
「いい?稀少種はエリート集団のα達を遙かに凌ぐ能力を兼ね備えた御方なんだよ。ヒエラルキーの頂点に君臨される、いわば人類の王だ。
卓越した高い知能と身体能力、人智を超えた特殊な力、この上もなく端麗な容姿、緻密に計算された黄金比の肢体。稀少種は存在自体が奇跡だ。
藤代さまの優雅な所作から発せられるオーラは慈愛に満ち、広く暖かく皆を包んでくださっている。彼こそ正にこの世に降臨された神。
その藤代さまの横に並ぶんだよ。アンタみたいなみすぼらしい者じゃ、ちっとも釣り合いが取れてないでしょ。藤代さまに申し訳ないと思わないの?」
思いも掛けなかった事を言われて頭の中が白くなった。
「由緒ある家柄の綾音さんや、美のカリスマと呼ばれる天沼商会の後継者たる僕だったら隣に並んでも遜色はない。
それにもし綾音さんが相手なら、藤代さまは歴史ある平泉一族の当主となられ、皇族の血が入った高貴で優秀な子供が生まれるだろう。
僕が相手なら天沼商会の会長になって稀少種の人脈と能力を遺憾なく発揮できる。そうすれば天沼は世界的大企業に駆け上がっていく……
君は?藤代さまに何が出来るの?どうやって藤代さまの役に立つ気?」
役に立つ……僕が先輩の為に出来る事って何かあるかな。家も庶民だし育ちも普通、容姿も平凡。これといった特徴のない僕に。
たしかに稀少種の<藤代李玖>という人は慈悲深くて叡智に富む、神の創りたもうた天上人だ。卓越した能力がどれだけ凄いかなんて、数々の奇跡を目の当たりにした僕が一番分かってる。だけどそれは先輩の一つの側面で、それだけが全てじゃない。
先輩には、僕たちと同じように温かい血が通っている。
ぽろりと零れた涙は水晶のように美しく、苦悩する眉間のシワは芸術的だった。クールで情熱的で、智略家なのに情に厚い。僕の些細な行動に笑ったり、心配したり。僕の知る先輩はとても感情豊かだ。
そういえば、僕も最初は先輩を手の届かない雲の上の人だと思っていた。なのに気づけばいつも傍にいてくれて、今は寄り添っている。
先輩が稀少種だからといっても、これまで僕たちは特別なデートなんてしてこなかった。レポートを手伝ってもらったり、部屋でテレビを見たり、趣味を教えあったり。先輩がおうちデートって呼ぶそれは、普通のカップルよりずっと地味かもしれない。でも全部すごく楽しい。そして嬉しい。だって先輩も楽しそうなんだもん。
役に立つとか立たないとかそんなのどうでもいい。僕も先輩も相手に特別な何かなんて求めてない。
ただ、嬉しい時、悲しい時、傍にいたい。いて欲しい。感情が波立った時に、心で、体で、共有したい。相手の喜びが自分の数倍の喜びになる。悲しみは痛みに変わる。
いつのまにかそうなってた。だって、好きなんだ。お互いに相手の事が愛しくて、とっても大切。
「何笑ってんの?余裕だねアンタ」
先輩のことを考えて心が暖かくなっていた僕は、ハッと現実に戻ってきた。
「だいたいキミ、運命の番がいるじゃない。あいつはどうしたのさ。二股してんの?」
「あ、高村さんの事だったら先輩が運命の鎖を切ってくれました」
空気がザワッとした。
「運命の鎖を……切った?」
「どういうこと?運命の番だよ?」
「そんなの聞いた事ない」
「一体どうやって……信じられない……」
「稀少種に不可能はないの……」
「凄い!凄いよ藤代さま!」
ザワザワ……
囁きがさざ波のように広がり、それと共に興奮の度合いも上がっていった。
「やっぱりアンタなんかには勿体ない」
淳也くんの声がさっきよりも低くなった。
「この世で稀少種に不可能はない。彼らが指先を少し動かすだけで世界経済は一変する。あの人だってこの国の中枢と深く関わっているから政治も人心も思いのままだ。やろうと思えば日本なんて容易く手に入るんだよ。それだけの価値があるのに能力を活かしきれない凡人が番うだなんて、許されるわけないだろ。世界の損失だ」
「先輩を価値なんて言わないで!」
確かに稀少種の能力は凄い。平凡な僕といても稀少種の能力を発揮するような場面はこない。Ωの僕が稀少種の力になれる事もない。
だけど、稀少種の力ってそんなもののためにあるんじゃないと思うんだ。
もっと……大きくて……
その時、淳也くんの後ろから出てきた影があった。
「お願いします、番の座を僕に譲ってください」
綾音さんだった。幼なじみさんに支えてもらってた綾音さんは、彼の手を離れてふらふらとやって来ると僕の足元に土下座して、両指を揃えて地面に頭を付けた。
「お願いします……」
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