壱《いち》

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壱《いち》

 今は昔のことである。  足利(あしかが)尊氏(たかうじ)が京での戦いに敗れ、筑紫(つくし)に逃れ落ちたとき、軍勢(ぐんぜい)は千人足らずであった。菊池(きくち)武敏(たけとし)という大将は大軍をひきつれて尊氏を追ったが、尊氏はとうとう筑前(ちくぜん)多々良浜(たたらはま)にて菊池の大軍をうち破った。  その勝利を導いたのが赤松(あかまつ)則祐(のりすけ)という家来であったので、赤松は播磨国(はりまのくに)十六(ぐん)(たまわ)った。  赤松の名は天下に轟き、その一門は大いに栄えた。
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