0人が本棚に入れています
本棚に追加
/6ページ
『目から鱗』
ここは独さんの職場。窓の外は既に日も落ち、夕闇が辺りを包んでいた。広いフロアには定時を過ぎたというのに、各課に数名、残業している職員の姿がちらほらと見える。
独さんの所属するセクションでも、課長以下全員がまだ帰り支度もせずに、机の上で書類の山を広げていた。
先日スノボで怪我をした後輩の包帯を見て、女子職員のB子が気の毒そうに言葉をかける。
「ねぇねぇ? A君、左手怪我しちゃってるけど、歯磨き大変じゃない?」
「へ? 僕、左利きじゃありませんから、特に不便はないですよ。あぁ、歯磨き粉をブラシに付ける時ですか?」
「違うわよ。片手だと反対側の歯が磨けないじゃない」
「え? B子先輩、両手で歯磨きするんですか?」
ちょっと抜けている所があるA君が、歯ブラシに見立てたボールペンを両手でしっかりサポートしながら歯を磨く真似をする。
「あははっ。野球のバットじゃあるまいし。そんな訳ないでしょ? 右手で磨く時は、左側の歯。そして左手に持ち替えてから、反対の右側の歯を磨くの。歯医者さんで習わなかった?」
――ぼとぼとぼとぼと――
二人の会話を隣で聞いていた独さんの目から、一斉に鱗が落ちていく。
最初のコメントを投稿しよう!