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 それからというもの、時折奇怪な客が訪れるようになった。 「ここが例の店かね?」 「さようでございます、旦那さま」 「ふん、汚らしいところだ。用事がなければ一時でもとどまりたくはないな」  恰幅のいい中年の男は、店内をあちこち眺めつつため息をついた。  少年には馴染みがなかったが、着ているスーツは上等な生地で作られていた。同じくデザインのいい革靴が忙しなく床を叩いている。  付き従う初老の男も白髪で片眼鏡に燕尾服と、ドラマさながらの恰好だ。 「いらっしゃいませ」  現実味のない光景に、少年は努めて笑みを浮かべる。 「では店員くん、“悲しみ”をもらおうか」  顎に手を当て、中年の男は言葉の響きをしみじみと噛みしめた。 「旦那さまは若い頃より順風満帆でいらっしゃいました。生まれながらに莫大な遺産を受け継ぎ、人柄のいい友人たちに囲まれ、学業も申し分なく事業も飛ぶ鳥を落とす勢い。よき伴侶と聡明なご子息にも恵まれ家庭円満、どうして人生に影を落とすような悲しみを抱けましょうか」  身振り手振りも交え熱弁を披露する老執事に、中年男は感嘆の声を上げる。 「すばらしい、まさに至言だ」 「お褒めいただき恐縮です」  ふたりのやりとりに、少年はしばし呆気にとられた。 (世の中には凄い人がいるんだな。悲しみなんて買うものじゃないと思うけど) 「して、ほんとうに“悲しみ”を買えるのかね?」 「はい、たぶん」 「たぶんでは困る。わざわざ尋ねた意味がない」  煮え切らない少年の態度に、業を煮やした中年の男が凄みを利かせる。 「あ、えっと……」  どう答えていいかわからず、少年は不本意に言葉を詰まらせた。 「お待たせしました。お客様、どうぞこちらへ」  いつからいたのか、店長がタイミングよく助け船を出す。 「む、そうか。では執事」 「はい、いってらっしゃいませ」  中年の男は軽い足取りで招かれていった。
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