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 またある日のこと、二十代そこそこの女性がふらりと店を訪れた。 「…………」  見るからに気落ちした様子で、ひどく肩を落としている。歩く姿もふらふら揺れて危なっかしい。 「いらっしゃ――」 「ふぅ」  レジに来るやいなやカウンターに肘をつき、ぼんやりとうつろな目で息をついた。 「ちょっと、困りますお客様」  咎める少年にもお構いなしで、女性はおもむろに真情を吐露する。 「……あたしさぁ毎日毎日落ちつかなくて、あれこれ心配で気が休まらないの。もちろん仕事はしっかりとやってるわよ? ちゃんと健康保険にも入ってる。定期検診だって受けてるし、額は少ないけど定期預金も組んだ。古いけど立派な一軒家だってあるわ。べつに深い悩みがあるわけじゃないの。だけど、だけど不安が消えないのよ、どうしたってなんだって心が晴れない。考えれば考えるほど疲れちゃって……はぁ」  一気にまくし立てると、女性はそのままカウンターへ突っ伏した。さながらバーテンダーに愚痴をこぼす酔っ払いのようだ。 「お客様、なにをお求めですか?」  しかたなく少年は注文をうながした。 「……“安心”をちょうだい、それも包まれるほどの大きさの」  それこそ保険の謳い文句だ。  少年は手際よくバトンを渡す。 「店長、お客様がいらっしゃいました」  すでに来ていた店長がやさしく微笑みかける。 「お客様、お任せください。きっとお気に召すことでしょう」 「ええ、頼みます」  女性はゆるりと立ち上がり、去っていく店長を追いかけた。  微塵も疑いを持っていない。 (いまさら驚くことじゃないか)  少年は軽く肩をすくめる。  ほどなくして、女性がスタッフルームから現れた。 「爽快だわ! こんなにもすかっとした気分は子供のとき以来よ!」  見違えるように晴れやかな笑顔だ。 「ありがとうございました」 「こちらこそ、ありがとう」  少年の挨拶に明るく応えると、女性はステップを踏んで店内を後にした。  その後も店長への来客は続いた。  “痛み”や“恐怖”、または“モラル”を望む者。  彼らは他者同様、効果のすばらしさに感激していく。  奇跡か悪魔の現象に魅入られ、もはや少年に疑いを挟む余地はなかった。
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