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就職について、親をごまかすのは簡単だった。
それぞれ建築デザイナーとしての仕事を持ち、自分たちのことで手一杯な両親だ。親から「◯◯しなさい」と言われたことは、生まれてこのかたついぞない。俺の超マイペースは、恐らくこの親の影響だろう。
「小さな設計事務所に採用された」と適当に伝えると、「おめでとう!」「頑張れよ!」と一言ずつ返ってきた。ありがとう父さん母さん。さあ何を頑張ろうかなぁ。
そして半年が過ぎ。
GSの作業服もガソリン臭さにも、だいぶ慣れた。
キャップを取り、爽やかに突き抜けた秋の青空を仰いで深呼吸する。
車が好きだ。
優雅な流線型のセダンや、見るからに頑強な四駆。車のフォルムは、非常に豊かな表現力を持って造形されている。車の美しい輝きを見ていると、いつしか満たされた気分になる。GSでアルバイトをしているのは、そんなどうでもいい理由からだ。
……しかし。
こんなのんきなフリーター生活の中で、いつか何かに出会えるのだろうか?
さあ、どうなんだろう。
俺の中で、「これからどうするか」という問いかけが、だんだんと膨らむのを感じていた。
そのとき、視界に美しい車が入って来た。
シルバーのメルセデス・ベンツCクラス。
そういえばこの車、時々このGSに来る。これまでにも3度ほど見かけた。来るたびに、その美しさに見蕩れてしまう。
「いらっしゃいませ」
「今日は車内の清掃を頼みたいのですが」
車の持ち主が、窓を開けて言った。
いつも車ばかり見ていたが、主に声をかけられたのは初めてだ。
「かしこましました。清掃の間、しばらくお車をお預かり致しますので、その間店舗内でお待ちいただいてもよろしいでしょうか?」
「わかりました。ではよろしく」
男は、ちらりと腕時計を見てから、ドアを静かに開けて外に立った。
すらりと引き締まった長身に、一目で分かる上質な生地のスーツ。腕時計も靴も、おそらく一流のブランドのものだろう。俺より少し年上だろうか。物腰も仕草も、品のいいオーラを纏っている。
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