第四章 記憶

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 6  目覚ましに起こされて体を起こすと、自分の上で腹を上にして豪快に寝息を立てているサクラが目に入った。  ……コイツ、あんな意味ありげな引き方しておいてこれか。  普通ああいう事したら数日行方眩ましたりするんじゃないのか。  いや、しなくていいけど。  顔を洗いにのそのそと一階へ下りる。  冷水で幾分頭がはっきりしてきた所で昨晩のサクラの姿が思い起こされてきた。 「アイツ、あの頃この町に居たなら何で居なくなったんだ……?」  何か事情があったのだろうか。  何にせよ、あの当時僕は完全にあの姿のサクラを新しく出来た友達としてしか見ていなかったのだし、当然そう言う話をする事もなかった。  だから当時を思い返してみた所でその疑問の解決に繋がる様な要素にはきっと行き当らないだろう。  本人が話をする気があるのか無いのかわからないけれど、話してくれる機会がある事を期待するほかない。  それよりも、目下の所確認しなければならない事が今はある。  あの妖の被害にあった人間の症状と回復の見込みについてだ。  直接あれに接触を図りにいくわけじゃないのだから、危険は伴わないはずだ。 「……後悔しないように、出来る事くらいはしておかないと」 「はい、タオル」 「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおい?」 「朝霧君、声が大きい」 「……居たなら言ってよ日野さん……」  気配がなさすぎる……。 「朝御飯、できてるよ」  日野さんはタオルを僕の頭に被せて、洗面所から出て行く。  そして、数歩歩いた後でわざわざ戻って来た彼女はこちらを覗き込んで、 「……出来る事くらいは、しておかないと」  いつもの調子で微塵も似ていない物真似を披露して去っていった。  鵜野森町を吹き抜ける風からは夏の湿気は徐々に抜けつつある。  穏やかで過ごしやすい今日の陽気みたいに、僕らのこの時間も穏やかであり続けてくれたらと思うのだけれど。 「朝霧君、拗ねてる」 「拗ねてません」 「拗ねてる」 「拗ねてません」 「……『出来る事くらいは――』」 「お願いだから勘弁して下さい」  何だか完全に弱みを握られている気分だ。 「ちょっとかっこいい風の言い回しに憧れる気持ち、誰でもあるから大丈夫」  あんまりフォローになってないよ……。 「朝霧君は、遅咲きだけど」 「追い打ちだよ!」 「ふふふ」  日野さんはまた真顔のまま笑う。  表情は殆ど動かなくても声色はやはり、どことなく楽しそうに思えた。 「――少し」 「え?」 「朝霧君、少しはつらつとした感じするね」 「……僕が?」  そうだろうか。  あまり自分ではわからないのだけれど。 「九月の初め頃からしたら……だけど」  九月頭と言えば、まあ総体の途中で棄権して部活から逃げた後ろめたさでいっぱいだったし、そう言う風に見えても仕方ないか。  何をしていても所在ないと言うか、どこに居ても居心地が悪いと言うか。  事情が事情だし目下の問題が解決していないから口に出すのは憚られるけれど、サクラや日野さんとのこの一件に遭遇していなかったら、僕はまだ燻り続けていたかもしれない。  そう考えると、世の中良い事悪い事のどちらか一辺倒と言う事でもないんだよな。  それに、変わったと言うなら僕だけに限った話じゃない。 「日野さんだって、変わったじゃない」 「……私?」 「目元が随分、柔らかくなった」 「……」 「……」 「…………」 「…………?」  日野さんはしばらく沈黙した後ぐりんと鞄を突き出して回転し、僕の背中を鞄でバシンと引っ叩いた。 「いってぇ!」 「……知らない」  そのままスタスタと歩調を速めて坂を下りて行ってしまう。 「ちょ、ちょっと日野さん?」  僕は後ろ手に背中をさすりながら、慌てて後を追いかけた。  ちょっと頬が赤く見えたのは、やっぱり照れていたのだろうか。 「相良の話?」  この話をするには女子と別行動になる二限の体育の時間をおいて他になりと思ったので、先日から引っ掛かっていた疑念についてはっきりさせておくことにした。  僕の推測が正しかった場合、日野さんが居る教室では何となく口に出しづらいと思ったからだ。 「ああ、そう。相良……部長の話」  シャツの裾で雑に汗を拭って悟は僕の顔をまじまじと見る。 「まだしばらく入院してっけど、何かあんのか?」 「いや、大した事じゃないんだけど……どこ中の出身なのかなって」 「中学? 確か……南中だったと思うけど」 「南って、鵜野森? 駅前の?」 「いや、鵜原南」  ……やっぱり、そうなのか。  原因不明の意識混濁で発見されたサッカー部の部長。  雨の夜にショッピングモールで倒れたあの女子高生。  二つの点は、朧気ながらも互いに線を結んで浮かび上がる。 「どういう人なの?」 「どうって……部員を引っ張る度量はあるし、いい奴だぜ?」  いい奴……か。 「なあ、悟。その部長って、面会とかできるのかな?」 「……? お前相良と仲良かったっけ?」 「あ、いや……特段そういうワケじゃないんだけどさ」  僕の言葉に悟は怪訝そうな顔になる。  そりゃそうだ。親交が無くクラスも違う人間の見舞いに行く奴なんて居るハズもない。 「じゃあ、何で」 「……ちょっと、聞きたいことがあって」 「それって、退院してからじゃだめなのか?」 「できれば、早めに話が聞きたい」 「…………」  流石に付き合いの長い悟でもすんなり納得してはくれそうになかった。 「……ワケあり……って感じだな」 「……ああ、まあ……そうなる」  僕が色々顔に出やすい性格なのもあるのだろうけど、隠し事をしながら事を進める事にはやっぱり難があるようだった。 「その理由は?」 「……それは」  件の人物が一連の話に少なからず関連があるかもしれないとは言っても説明するにはオカルトな要素が強すぎるし、いくら悟と言えど馬鹿にしてるのかと気を悪くするに違いない。 「――友達を、友達を助けたいんだ。そのための情報を、いくらかでもその人は知っているはずなんだ」  だから僕は、ただそれだけを伝えて頭を下げた。 「……はぁ。わかったわかった。……ったく、何があったか知らねーけど……いつからそんなキャラになったんだっての」  悟は苦笑して立ち上がる。 「今日は部活ねーし。道中でいいから、話せる事だけ話せよ」 「――ああ、ありがとう」 「しかし……友達ねえ」 「……何だよ」  訝しむ僕に向かってニヤリとすると、 「いやいや、お前みたいな草食系の見本みたいな奴でも、案件次第じゃ以意外に熱血じゃねーかと思ってな」 悟はたはたと手を振ってサッカーの試合に混ざりに走って行った。 「……どう言う意味だ、どう言う」  小声で毒づいた所で休憩の長さを教師に睨まれている事に気が付いた僕も、慌ててグラウンドの中に入る事にした。
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