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3
「夢路さん、あんまり早い時間から大きな声を出すのは感心しませんよ」
気が動転して猫を抱えたまま階段を駆け下りてきた僕と居間で鉢合わせした婆ちゃんは人差し指で僕の額を突いて嗜めたが、正直こちらはそれどころではない。
「大変なんだ!」
猫を婆ちゃんの顔の前にずいっと差し出す。
「……コイツ喋る!」
婆ちゃんは僕と猫の顔を交互に見比べた後、
「あら、仲が良いのはいいことですよ」
とびきり呑気な答えが返ってきた。
「そうじゃなくて、喋ったんだよ。人の言葉を!」
「あら、何て?」
「え、いや、なんか……伴侶がどうとか僕が奥手だとか……」
「まだお付き合いもしてないのにいきなり結婚だなんて、お婆ちゃんちょっと心配だわ」
駄目だ、これは。
いつでものんびり何でも受け入れる我が家の婆ちゃんだけれど、いくら何でものほほんとしすぎではないだろうか。
僕は猫の顔を正面から見据えて言う。
「……猫、何か喋れよ」
「夢路さん、怪我してる子にあんまり強く言うものじゃありませんよ」
「その前に!人の!言葉で!喋る猫とか!おかしいでしょ?」
「ご主人あまり大声で喋ると血圧上がるのだぞ」
「お前がそうやって流暢……に……」
……。
「……あらまあホントに」
「ほら喋った!今確かに日本語で――」
「猫又なんて何年ぶりかしらねえ」
「……はい?」
婆ちゃんは警戒する事もなく黒猫の頭を撫でて『貴女美人さんねえ』などとやっている。
ええと……。
猫が日本語で喋る事は『ちょっと珍しい出来事』くらいのノリで済まされる話なんだろうか。
これは僕の認識がおかしいのか?
「あの……猫が喋ってるの見るの……その、ひょっとして初めてじゃないの……?」
「んー、そうねえ……子供の頃と、十年くらい前と、これで三回目かしらねえ」
三回目……。
いつから家は妖怪ポストのある家になったんだ。
「えーっと……その、猫又……ってのは……大丈夫なの?」
「……大丈夫って?」
「いやその、……攻撃してきたり……とか」
僕がおっかなびっくり聞くと婆ちゃんにまた額を突かれた。
「ゆ・め・じ・さん」
「は、はい」
「どんな猫だって怒らせたら噛みつくし引っかくでしょう」
いやまあ、それはそうなんだけど……。
「それにこの子、夢路さんに懐いてるんでしょう?他者の好意を無下にするような子に育てたつもりはありませんよ」
「いや、あの……ごめんなさい」
叱られてしまった。
「ご母堂。ご主人は現代っ子故、妖の事についてよく知らぬのはせん無いのである」
「あら猫ちゃんご母堂だなんて嬉しいけれど、私一応夢路さんのお婆ちゃんなのよ」
「おお……これは失礼を。あまりに若々しいのでてっきり」
「あらやだ、うふふ」
……思いっきり打ち解けてるし、これもしかしなくても収集つかないのではないだろうか。
「猫ちゃん、あなたお名前は?」
「名前……ふむ。長い事猫の妖なんぞをやっているが只の猫だった頃は身寄りもなかった故、特に名など無かったのであるが。猫又となってから貰った名は……サクラ、であるな」
「まあ、素敵なお名前ね」
桜……から来ているのだろうか。
「サクラさん、私はこの神社の切り盛りをしているの。朝霧洋子」
「では洋子殿、と」
「ふふ、よろしくね、サクラさん」
「こちらこそ、よろしくお願いするのである」
僕が呆気に取られている間に完全に話がまとまっているみたいだった。
ううーん……婆ちゃんとのやりとりを見ている限り無害っぽいし大丈夫なのかな……。
「お前ら朝っぱらから何しとるんじゃ」
……いきなり大丈夫じゃないっぽい人が来てしまった。
婆ちゃんみたいにのほほんとした性格ではないし、ここで騒ぎになるのは大いにマズい。
「ああっ……と、おはよう爺ちゃん。いや昨日拾った猫が朝から鳴くもんだから何か食べさせる物でもないかなーっと思ってさ……あっはは……」
「おお、この方が主の祖父殿であるな」
「台無しだよ!」
ややこしいことになりそうな爺ちゃんをとっさに躱そうとしたのに僕の演技が台無しだよコイツは!
流石に目の前で喋られたら誤魔化すなんてできないぞ。
退治するなんて言い出したら誰も止められ――
「……何が台無しかよくわからんが早朝から騒々しいぞ。それほど元気なら道場で朝稽古でもしてきたらどうだ」
……。
……あれ?
「境内掃いて来るから飯の用意しておいてくれ」
それだけ言って出て行ってしまった。
「……爺ちゃん、耳遠いっけ?」
「いやねえ、そんなわけないでしょう」
「私の言葉が人の言葉に聞こえるのは、私のチカラが弱まっていない事と、霊力がある程度高い人間が聞いた時に限られるのである」
つまり爺ちゃんに取ってコイツの言葉は普通に猫が鳴いているだけに聞こえる、と言う事なのか。
「まあ問題にならないならそれでいいけど……」
「そういう事なら、それでいいんじゃないかしら?さ、じゃあ私は朝御飯の支度しちゃうから」
「ご主人、私はもう少し布団でゆっくりしたいのであるが」
婆ちゃんはすっかり納得して台所へ消えて行き、居間には急展開に頭の処理が全く追い付かない僕と、婆ちゃんに認められてすっかり住人気取りの黒猫サクラが残されたのだった。
結局時間も早すぎた事から僕らは自室に戻っていた。
サクラはと言うと、僕の枕の上に陣取って毛づくろいをしている。
僕が畳の上に座っている状態なので、最早誰の部屋だかわからない。
「……なぁ」
「なんであるか?」
「聞きたいことはまあ……山ほどあるんだけど、とりあえず怪我の方は大丈夫なのか?」
実際昨日は婆ちゃんが応急処置をしてくれたけれど、脇腹も出血していたからそのあたりは気になっていた。
「む、ご主人心配してくれているのだな」
サクラの尻尾がピンと反応する。
「茶化すんじゃない。お前腹から出血してただろう」
「ふむ、洋子殿の手当てのおかげで昨晩よりは大分マシになったのである。どうにかご主人と話が通じるくらいではあるが」
確かに昨晩は完全に普通に猫が鳴いているだけだったから、概ねその通りなのだろう。
「ただまあ著しく力を消耗した故、猫又としての神通力の大半は当分使えそうにないのであるが」
「……神通力って何だよ」
何だか早速キナ臭い話が出て来たぞ。
「空中を走ったり念動力で物を動かしたり」
「騒ぎになるからやめてくれ」
神社の飼い猫が空中を走ってるなんて話、シャレにならない。
「人に化ければ“ばいんばいんな傾国の美女”にもなれるのだぞ」
「……僕は“ばいんばいん”は特に必要としていない。人を何だと思ってるんだ」
思わずサクラの頬っぺたをムニムニと引っ張る。
どこでそんなカルチャーを学んで来たんだコイツは……。
「大体お前、何であんな所で倒れてたんだよ。普通の猫だったら犬にでもやられたのかなとかで納得するけどさ」
「ふむ……街の上空で落雷喰らって霊力が消し飛んで、落下した所がこの神社の鳥居の下だった……と言うのが大まかな事情であるが」
落雷直撃して生きてると言うのが尋常ではないが、喋ってる時点で普通ではないので疑うのも無意味な気がする。
「台風の中を空なんて飛ぶなよ……ともかく万全にほど遠いなら後で駅前の動物病院行くからな。どの道色々買わなきゃいけない物だってあるし」
僕はそう言って猫を飼うのに必要な物品の検索を始めるのだった。
「病院と言うのは初めて故、いささか不安であるがこの家に御厄介になる以上仕方ないのだな」
境内から伸びる階段を降りて自転車の前カゴにサクラを乗せる。
「猫連れてバスに乗るわけにもいかないしな。クッション敷いてやるから揺れるのは我慢してくれよ」
「おお……これは中々」
傍目かなりシュールな気がしなくもないがこの際致し方ないと割り切ってゆっくりと漕ぎだした。
昨日の嵐のせいで道の至る所に折れた木の枝やらが散乱しているが、空は快晴だし風も心地いい。
坂道を下って商店街へ。
この時間だとまだ店を開けていない所が殆どで、昨日の嵐で散らかった店の前を掃除している見知った人達の姿がちらほら見える。
「おはようおじさん」
「おーう、夢坊か。出かけんのかい」
「駅前までちょっとー」
酒屋のおじさんに挨拶しつつ走り抜ける。
「ふむ。現代っ子は挨拶とかロクにしないと聞いていたが、ご主人はそうでもないのだな」
……現代っ子だって近所の人にくらいは挨拶するだろうけど。
「まあこの辺は昔っからの古い商店街だし、特にウチは神社で祭礼の時なんか町会の大人によく会うからみんな顔見知りなんだよ」
マンション地区とか新興住宅地やなんかの地区に住んでる悟なんかがウチに遊びに来た時はやっぱり『人の空気感が違う』みたいな事を言ってたから、やっぱりこの辺りは昔っぽいと言うか、そう言う部分はあるのかもしれない。
その後も肉屋のおばちゃんやら喫茶店のマスターやらと挨拶を交わしながら国道のある市街地方面へ向かう。
鵜野森地域は東西南北の四つの町でできている。
僕が住む北鵜野森の他に高校のある西、国道を跨いで線路沿いの東と南があり、駅の向こうは鵜原と言う新市街地が広がっている。
「このあたりでは、やはりご主人の家のあたりが一番居心地よさそうであるな」
ぐるりと四方を見回してサクラが言う。
「ふーん……妖怪のなのに神社が一番居心地いいとか変わってるんだな」
「これ」
ガリ。
「いってぇ!手を引っ掻くなよ危ないだろ!」
コイツ今わざわざ身を乗り出して僕の右手を引っ掻いたぞ。
「猫又と一口に言っても私は仙狸なのでどちらかと言えば霊獣の部類なのである。霊力全快状態なら悪霊退治もお手の物なのであるぞ?霊格が負に堕ちたただの化け猫と一緒にしないで欲しいのであるな」
霊獣って言うと、あの狛犬とか稲荷の狐とかの事か?
うーん、ややこしい。
「まあ?ご主人は若年故?妖の者に関する知識はまだまだであるからして?これから私が時間を掛けてお教えしていくのである」
「僕はその手の話は専門じゃないんだ。そんな細かい違いわからないよ。けど……」
僕は自転車を止めると道端に生えていたエノコログサを三本ばかり引っこ抜いて、カゴの網にくくりつける。
「――む」
「猫を大人しくさせる方法は知ってるぞ」
「む、む、む」
再び自転車を漕ぎ始めるとブラシの様な穂が風と自転車の振動で細かく揺れ、サクラが右に左に首を振って手を出しはじめる。
「ご主、人、これは、霊獣、に、対して、些か、むっ、失敬では」
「駅前着くまでそれと遊んでてくれ」
籠の中で喚きながらエノコログサとじゃれつき始めたサクラをからかいながら、僕は自転車のスピードを少しだけ速めた。
婆ちゃんの処置のおかげか霊獣としての治癒力のおかげなのかわからないが、結局のところサクラの怪我は大事ない状態の様だった。
「嫁入り前の身で主以外にあんな姿を晒す事になるなんて思わなかったのである……」
そう言ってわざとらしくしなを作るサクラのほっぺをムニムニやりながら、
「猫が人間の医者に怪我の診察された話を変な言い回しに歪曲するんじゃない」
「おお……揺れる、視界が揺れる」
「こんな所で漫才やってる時間はないんだからな。買う物だってけっこうあるんだぞ」
サクラを自転車の籠に再び乗せて鵜原へ向かう。
鵜野森町に専門のペットショップは無いが、線路を越えた鵜原新市街には大手のショッピングモールがあり、その中にはペット用品店はあるらしい。
地元の駅前とは言え日常の生活用品だけならウチの町内の商店街でもそこそこ揃うし、学校の連中と遊びに行く時なんかは電車で都心へ出てしまうので、このショッピングモールには入ったことが無かった。
後でざっと見て回るのもいいかもしれない。
「ご主人、一体何を買うので?」
「お前の生活用品色々だよ。結構お金かかるんだぞ」
ペットを飼うのに餌だけあればいいと言うものではない。
猫又がペットに該当するかどうかと言う問題はあるのだが、当面喋れるだけ(?)の猫として我が家に居座るならば当然猫としての生活用品が必要になる。
「私、出来る嫁を目指している故あまり気を使わなくて良いのであるが?」
出来の良し悪し以前に嫁の時点でおかしいと思うのだが。
「僕の部屋に住み着くなら猫用トイレだって必要だろ」
「おおう……唐突に面と向かって言われると中々気恥ずかしいものであるな」
「何でだよ……人間相手に恥ずかしがる話じゃないだろう」
「異性に対しては言葉を選んで欲しいものである」
……昨日まで野良だった猫に、猫用トイレを買ってやると言ったら、デリカシーの無さを咎められたぞ。
「じゃあこの店の中で買い物してくるから、ちょっとここで待っててくれよ」
ペットショップの前に自転車を停めて僕はサクラに待つように言う。
「なんと……ここへ来て置いてけぼりとは」
「そうは言ったってケージとかとかに入ってない猫連れて店内に入るわけにいかないだろ」
「およよ……」
わざとらしく縋りつくサクラの頭をポンポンとやって、僕は店内へ入る。
手早く必要な物を店員さんに確認して――などと思ったのだが。
「……朝霧君、こんな所で何をしいているの」
……店員が日野さんだった。
「……日野さんこそ……何してるの?」
「……バイト」
「……うん、まあ、だよね」
意外と言うか何というか、教室でいつも必要最低限しか喋らない彼女を見てきているので、小売店で接客と言う目の前の光景とイマイチ結びつかない。
まあどちらかと言えば『暗い』と言った類ではなく『孤高』みたいなイメージだったので、仕事はそつなくこなしそうではある。
「それで……朝霧君は、何してるの」
……表情が一切変化しない。
やはりこのキャラは中々慣れそうにないぞ……。
「あ……っと、猫……拾ったんだ。その……昨日の晩。それで、ちょっと買い物に――」
「――猫」
突然日野さんが目の前にずいっと詰め寄って来る。
「朝霧君、猫飼うの?」
近い近い、顔が近い。
思わず上体を仰け反らせてしまう。
何だ何だ、いきなり喰い付いてきたぞ……。
「そ、そうだね……怪我してたのを拾って、婆ちゃんが一応手当したんだけど、何だか家に居座るつもりみたいでさ……。仕方なく今さっき病院連れてって、必要なもの買っていくかって思って寄ってみたんだけど――」
「その猫、どこにいるの」
僕は店の表、入り口にちょこんと姿勢を正してこっちの様子を見ているサクラを指差す。
「……宅配便の猫みたい」
「え?」
「何でもない」
日野さんとサクラの視線が自動ドア越しに重なり、しばしの沈黙が流れた後、
「――少し、待ってて」
そう言って日野さんは商品棚の方へ歩いて行った。
それを見ていたサクラが入り口のドアをカリカリ引っ掻き始めたので僕がドアを開けると、
「私と言う者がありながら、あの女は一体何者であるか」
「ク・ラ・ス・メ・ー・トだ。お前こそ何者だよ」
「ご主人少々冷たいのではないか?」
縋りついてくるサクラを店の表に座り直させてドアを閉める。
恨めし気にまたカリカリやっているけど見ないフリをしておこう……。
やがて日野さんが店の奥から何やら色々運んで来た。
「何か、沢山あるね……」
ドサドサとカウンターに置かれる商品群に財布の中身が心配になってくる。
「猫用トイレ・猫砂・キャットフード・首輪。……それとこれ」
そう言って出してきたのはトートバッグを二回り大きくした様な物だった。
「これは?」
「キャリーバッグ。ここに、猫、入れるの」
「……」
サクラが顔を出したキャリーバッグを抱えた自分の姿を想像すると、かなり間の抜けた絵面になる気がする。
「こう言うのは洒落たファッションの女子大生とかじゃないと……アレじゃないかな……」
「……家の中から出さないなら要らないけど、今日みたいに連れ出すなら、ケージかバッグは要るよ」
日野さんの有無を言わさぬ雰囲気に気圧されてしまう。
「えっと、じゃあこれ一式あれば……?」
「安心」
うーん……これはこれで強い営業スタイルかもしれない。
ともあれ動物を飼った事も無いので全面的に日野さんを信じて買う事にしよう。
よくよく考えたら猫用トイレだのを自転車に無理矢理積んだらサクラを乗せる場所も無いだろうし、バッグに入れて帰るしか無い気もするから丁度いいかもしれなかった。
「合わせて――一万七千三百八十八円」
……おおぅ……。
一瞬で財政難である。
恐るべしペット用品……。
……これは購買で買う昼食を当面貧乏パンに固定せざるを得ないな……。
ああ、ちなみに貧乏パンと言うのは具もジャムも一切無い、やたら体積だけはある百二十円くらいで買える運動部男子御用達の半球状のアレの事だ。
……まあ学校での食生活の事を心配していても仕方ない。
とりあえずはこの大荷物を持って帰らねばなるまい。
「じゃあ……何か必要になったら買いに来るよ。餌とか……また買わなきゃだし」
「朝霧君」
荷物を抱えて出ようとした僕は日野さんに呼び止められる。
「有難う」
「……?」
「昨日。傘」
「……あ、いやまあ、別に余ってた傘だし……その、気にしないでいいから」
僕がちょっと面食らってしどろもどろになると、
「……うん。また、買いに来て」
彼女の表情が心なしか和らいで、ほんの少しだけ微笑んだように見えた気がした。
これまで学校では殆ど喋ってる所を見掛けなかっただけに、ぱっと見わかりにくい表情の変化がちゃんとある事に気付けた事が何だか新鮮だった。
案外、話せる様になると面白い子なのかもしれない。
店の外に出ると、サクラがジト目でこちらを見上げている。
「……ホントにただの友達なのであるか?」
「当たり前だろう」
「その割にはー? 表情が緩いのではー?」
「彼女かお前は」
何で僕はむくれている猫の機嫌を気にしなければならないんだ。
「とにかく今日は荷物も多いし帰るぞ」
サクラを抱え上げて買ったばかりのキャリーバッグに押し込むと、そのまま肩掛けの要領で担ぐ。
「おお、新感覚」
……やはりこれは見た目的に東京の代官山とかで、お洒落女子大生あたりがやるべき絵面だ。
男子高校生がやるにはシュールさが拭い切れない。
「ご主人、あまりフラフラされると酔うのである」
「頼むから吐くなよな……」
かくして自転車の籠に猫用トイレと砂、右手に餌、左肩にサクラ入りのバッグを下げた僕は終始ヨタヨタしながら自宅までの道程を一時間以上かけて帰る事になったのである。
神社下の駐輪場まで戻った僕は強引に荷物一式を抱えて階段を上る。
うちの神社は北鵜野森の小高い丘の上にあるだけあってやたらと階段が長い。
境内までの長い道程を往復は避けたい一心からである。
「ご主人、頑張れ。ここが踏ん張りどころである」
「そうは……言ったって……!」
一万七千円分のペット用品一式を抱え、サクラを入れたバッグを担いでこの階段は……ん?
「……」
「なんであるか?」
「……自転車降りたんだから、お前を担いでる必要が微塵もないんだけど」
ジト目でサクラを見る僕。
「伴侶には優しくするものであるか、と?」
「雷に打たれて死なない猫妖怪に何でそこまで気を使わなきゃならないんだよ」
「霊・獣!そこは履き違えないで欲しいト・コ・ロ!」
階段の半ばで僕らがどうでもいいやりとりをしていると、上の方から子供達がワラワラ駆け下りて来た。
爺ちゃんの武道教室に通ってる近所の子供達だ。
子供達は僕が猫と取っ組み合いをしているのに気付いて興味が沸いたようで一斉に駆け寄って来る。
「夢兄ちゃん、その猫どーしたの?」
「飼ってるの?」
好き放題撫でまくられ、サクラはもみくちゃになっている。
「む、むむ? これ子供ら、やめるのである!」
もごもごやっているけど子供達にはおそらくゴロゴロ言っている様にしか聞こえていないんだろう。
子供達がサクラとやいのやいのとやっているのを眺めていると、服の裾をくいくいと引っ張られているのに気付く。
「……夢兄ちゃん」
やはり同じく道場に通って来ている近所の女の子だ。
「アイちゃんか、どうかしたの?」
「お稽古、まだお休みなの?」
「…………あ」
じくり、と。
胸の奥が疼いた。
「体、痛いの?」
「……そうだ、ね……まだ、少し」
違う。
「良くなったら、戻って来る?」
「……うん、そうだね。もうじき戻れると思う」
痛いのは、身体じゃない。
「早く、良くなるといいね」
痛かったのは、僕じゃない。
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