第二章 咲

3/3
2371人が本棚に入れています
本棚に追加
/201ページ
 3  昼前に家を出て駅前へ向かう途中、学校の前で見知った顔を見つけた。  悟が校門の前に座り込んでぼーっと空を見上げている。 「悟、部活?」 「ああ……夢路か」  心なしかテンションが低い。  練習で疲れたのだろうか。  まだ暑いし、朝から延々としごかれていれば、まあ無理もない。 「どした、猫連れで」 「いや、ちょっと買い物にさ。……そっちは朝から走りづめで疲れ果てた?」 「いや、まあ……練習は別にいつも通り」 「じゃあ、怒られたとか?」  少し間の後、悟は言葉を選ぶようにゆっくりと話し出した。 「……昨日、先生と一緒に部長――相良のアパート行って、管理人に言って一緒に家入ったら家に居たんだけどさ」 「ああ、それはSNSで見たよ。でも、その言い方だと部長さんやっぱり何かあったのか?」 「……怪我もしてない。意識もある。けど、そんだけだ」 「……それは、どういう状況なんだ?」 「こっちの言葉に反応しない」  意識が混濁してるのとは違うんだろうか。 「それで、学校の方で海外の親御さんに何とか連絡つけて、本人はとりあえず病院に連れて行ってとりあえず検査入院してもらってる」  何だか随分大ごとな話になってるな。 「けど、事件とかそういう感じじゃないんだろ?」 「ああ。鍵だって締まってたし、部屋も荒れてたりしてなかったしな」 「なら、回復するのを待つしかないんじゃないか?」  医者がどう判断するかはわからないけれど、無傷で、意識はあるけど外部からの言葉とかに反応しないってなると、すぐに良くなるのか見当もつかない。 「まあ、な。ただ原因も回復の見通しも立たないってなると、下手な怪我なんかより部員の連中には影響でかくてさ。参るよホント」  総体が終わって代替わりしてサッカー部を引っ張り始めた人間が原因不明で入院となれば士気は当然落ちるだろうから、悟の心配はまあ致し方ないんだろう。  ただそこは部活を二ヵ月も休んでいる僕がどうこう言える域の話ではない気もした。 「頑張れって言葉が適当なのかわからないけど……とにかく、良くなるといいな」 「……ああ」  何だか、かけるべき上手い言葉が見当たらず、無難な言い回しをして僕はその場を後にした。 「ご主人、また何やら浮かない顔をしておるであるな」  自転車の前籠でくつろぎながらサクラが言う。 「そりゃ交流が無くても同学年の人間が原因不明の症状で入院だとか聞かされれば、気分のいい話じゃないだろ」 「だろうと言われても私は人間ではない故に。ご主人や洋子殿のような近しい者ならいざ知らず」  まあ、それもそうか。  こういうのは同族に向けられる感情なのだから、猫妖怪に話した所で倫理観と言う物が違うんだろう。 「でも、僕が唸った所でどうなる話でもないからな」 「ふむ。それでご主人、あの日野とか言う娘は例の店に居るのであるか?」 「多分」 「居なかったら無駄足もいいところであるな」 「直接の連絡手段が無いんだから仕方ないだろ。猫缶買ってやるから我慢しろ」 「にゃんと」  行って空振りなら仕方ない。  ともかく、話をしてみないことには何もわからない。  僕は少し、ペダルを強く踏み込んだ。  日曜の午後と言う事もあり、一昨日昨日よりもモールは賑わっていた。  自転車を停め、キャリーバッグにサクラを入れて歩くと、周囲の子供や家族連れの視線が集中するのを感じる。 「……だいぶ恥ずかしいぞこれ」  ……やっぱりこれはお洒落女子大生がやるべきであって、男子高校生がやる格好ではない気がしてならない。  足早にモール内を進んでペット用品店に駆け込むと、日野さんが奥から顔を出した。 「……毎度」  こののんびりした挨拶からは昨日垣間見せた深刻さは全く見えない。 「何か、買い忘れ?」 「ああ、いやまあ、コイツが猫缶に味をしめたみたいで、追加で適当に買いに来たのもあるんだけど……」  キャリーバッグに入ったサクラを見せる、 「…………」  この猫妖怪……こういう時くらい愛想よくしろよ。  サクラは黙っているが日野さんはお構いなしに、サクラの頭を撫で回す。 「今日は、マグロ缶以外のを出そう」  陳列棚から色々見繕っている日野さんの表情が心なしか緩んでいる様な気がしたので、昨日の話を持ち出すのに何となく躊躇してしまう。 「ご主人」  ……わかってるよ。  日野さんがレジカウンターの上にいくつか新しい猫缶を持ってきて積み上げている。 「今日は、鶏肉」 「えっと……それじゃあ、八個貰えるかな」  手持ちが心許ないので千円で買える範囲である。 「うん、毎度」  日野さんが袋詰めを始めた所で、話を切り出した。 「日野さん、今日、バイト何時まで?」  知り合いでなければナンパ行為と思われても仕方ない言い方だけれど、他に妥当な言い回しも思いつかなかった。 「何か、あったの?」  一見すると驚いてる様にも訝しんでる様にも見えない。  あからさまに嫌な顔とかされたらどうしたものかなとか思ったけれど……表情が動かないから心理状態が全く推測できない。 「えっと……何かあったって言うか……聞きたい事があるって言うか……」 「…………」  無言が怖い。 「あー……いや、いきなり変な事言ってごめん。やっぱり――」 「四時」  ――と。 「――え」  表情は殆ど全く変化しないまま、 「四時。終わるから」 「……あ、うん」 「はい、猫缶」  商品の入った袋を手渡され、僕は自分で展開を把握しきれないまま店の外に出たのだった。  特段他に買う物も無かったので、結局自販機で飲み物を買ってベンチでぼーっとする事になった。 「ご主人、あんまり呆けて上から鳩の糞が落ちてきても知らないであるぞ」  鶏肉たっぷりの猫缶をパクつきながら、サクラが悪態をついてくる。 「私と言う出来る嫁がありながらあのような女子にご執心とは……」 「日野さんはそういうのじゃないし、そもそも僕は猫妖怪を嫁にした覚えもないからな……」 「むおお、人の食事中に顔をムニムニするのはよすのである」  多かれ少なかれ、あのポーカーフェイスの下にも喜怒哀楽はあるものだ。  その中にはきっと苦悩もあるだろう。  それが本人の事情だけに起因するなら僕なんかが口出しする資格はないのかもしれない。  けれど外的要因なのであれば、僕にも何か出来る事があるんじゃないかと思う事は果たして僕の傲慢だろうか。 「……なあ、サクラ」  サクラの頬をいじっていた手を止める。 「なんであるか?」 「……お前に陰の気を喰って貰って精神的にだいぶ楽になったけど、それをやって貰わなかった場合、どうなったんだ?」  あのまま思いつめていたら、精神的に病んでしまったりしたのだろうか。 「……別に」 「……はい?」  全く予想外の答えが返ってきたので、間の抜けたリアクションをしてしまった。 「ご主人程度の悩みで周囲にどうこう影響が出ると言う事はなかったであるな」  何だか言い回しがイラッとしたのでムニムニを再開する。 「お前……僕程度の悩みって失礼な言い方だな。これでも僕にとっては深刻な悩みなんだぞ」 「ぬおお、やめてやめて皮がのびる」 「……まったく」 「……ご主人、陰の気が過剰に増えたからと言って、それで精神に異常をきたすかどうかはご主人次第なのであるし、それを一時的に取り除いたからと言ってそれ即ち健やか万全になるわけではないのであるぞ。気を喰らったからと言って精神を操作しているわけではない故に」  当人次第って……。  それじゃあそれらの話を総合すると、まるで僕の心が豆腐メンタルみたいじゃないか。  いや、けどそれじゃあ日野さんは? 「じゃあ、日野さんがまずい事になるかもしれないってのは、どういう意味だったんだよ?」 「本人の精神状態がどう変化するかは本心次第故、ご主人の様にすぐイジイジしてしまう者も居れば、表面上あまり変化が見られず普通で居られる者も居るのであるな。あの女子はおそらく後者寄りなのである」 「じゃあ、何がどう……まずい様に見えたんだ?」  僕が重ねて質問をするとサクラは僕の膝から飛び降りて、背筋を伸ばしてこちらを見る。 「ご主人、妖の者は私の様に人の強い感情を糧に霊格を維持していると説明したのを覚えているであるか?」 「――ああ、僕の気を喰った時にそんな事を言ってたよな」 「堕ちた妖は、陰の気を喰らって得た力で人を襲うのである」  …………。 「――え」  襲う?  人を? 「ちょっと待ってくれ、つまり日野さんの心――陰の気を妖怪が餌にして何かするって事なのか?」  今一飲み込めない僕の言葉に『ふむ』と一旦間をおいてから、 「何かするのか既にしているのかはわからぬが、表面上わかりにくいあの女子の身体からはかなり濃度の強い陰の気が溢れ出ていたのである。それは本人が表層意識で抑え込んで表情や行動には出てこなくとも、餌にしている妖からすれば変わらぬ事であるな。本人は精神を餌にされているだけでは直接凶行に走ったりはせぬから、何かあってもわからんのである」  話が突飛すぎると言えば突飛すぎるのだけれど、実際僕の精神を喰って出来損ないの変化をしてみせた妖怪猫が目の前に居るので、ぼんやりと話のイメージは掴めてきている。 「じゃあ……一体、誰――いや、どんな奴がそれをしてるんだ?」 「まだ私にもわからんのである」 「そもそも、何の為に……」 「それは、人を襲って恐怖を焚き付けた方が、霊格を上げる陰の気は容易に手に入るからである。得体の知れない力で不気味な事件でも起こせば、その身辺に居る人間達からも効率的に陰の気を集める事ができる故。世に残っている怪談噺の中にはそういうものが背景にあるものも少なくないのである」 「…………」  何というべきか、上手い言葉が見つからないのだけれど。  ただサクラの話から考えれば、日野さんの精神が妖怪の餌になる恐れがある状態だって事と、彼女が今抱えている問題は直接は関連していないって事だ。  僕にはオカルトの話は正直さっぱり理解できないけれど、そうでない部分の話は別だ。 「何にしても、まずは話を聞かないと」 「何を聞くの」 「おわぁっ!」  いきなり背後から割って入られて、思わず驚いて飛び上がってしまった。 「…………バイト、終わった」 「何だ日野さんか……脅かさないでよ」  彼女はいつも通りの低めのテンションのままベンチに座り、食事を再開したサクラの身体を撫で回し始める。 「ふさふさ」  ……ホント猫には目が無いんだな。 「この女子、人の食事中に身体を撫で回すとか何なのであるか」 「その猫缶もいいけれど、これはどうかな」  そう言って何やら持ってきた袋から別の猫缶を取り出し、サクラの前で開けて見せる。 「にゃんと……!」 「イギリス製の超高級猫缶。鶏肉・芋・海藻その他植物のブレンドで人間が食べても大丈夫」  ちょっとだけドヤ顔に見えなくもないのは気のせいだろうか。 「ご主人、この女子は中々見所があるのではと思うのである」  サクラは早速篭絡されている様で、超高級猫缶にしがみつきながらいいように撫で回され始めていた。 「現金な猫だな……」 「まずは、胃袋から」 「それは猫相手の話ではないのでは」  僕は溜息をついて、サクラを挟んでベンチに座る。  とにかく、あの話の事はちゃんと聞いてみないと。 「それで……話、なんだけど」 「…………」 「もし、口に出すのも嫌だったら……言わないで構わないんだ。でも――」 「朝霧君」 「――はい」 「暇なの?」 「そう言われると辛いものが」 「冗談」  ……真顔で言われても。  けれど、サクラを撫で回している時の彼女の表情は、やはりどこか柔らかく見える。  この状況なら、多少は込み入った話もできるのかもしれない。 「昨日の事なんだけど、あれは……その、こう言っちゃ悪いかもしれないけど、本当に……友達なの?」 「…………」 「彼女の話が言葉の通りなら、少なくとも僕にはそんな風には受け取れないんだ」  十代の人生経験の浅い僕にもわかる事はある。  金銭で壊れる友情はあっても、金銭で繋がる友情なんてものは在りっこないんだ。  日野さんは中々口を開こうとしないようだった。  それはまあ無理からぬことだったし、僕にはそれを強引に聞き出すような事はできない。  だから、僕は彼女の答えを静かに待つことにした。  近くのフードコートでは、地元の小学生であろう子供達が仲良さそうに走り回っているのが見える。  子供と言うのは、本来ああいう笑顔で友達同士笑いあって過ごしていけるものではないのだろうか。  爺ちゃんの古武術教室に通っている子達の事を思い起こしても、およそ昨日の子のような発言が出てくる事は容易には想像できない。  昨晩からあれこれ考えてはみたけれど、結局それらしい理由を見いだせていなかった。 「――小さい頃に大きな地震があったの、覚えてる?」  日野さんがポツリと話し始める。 「……うん」  地震。  おそらく僕らが小学生だった頃の、本州規模で大きな被害をもたらしたものを指しているのだろうと思った。 「地震から一年以上経った頃から、少しづつ周りが変わって来た」 「……」 「ウチのお父さん、電力会社の技術者だった」  僕はこの時点で既に、表現しようがない、ひどく粘ついたものが彼女の心を絡めとってしまっているような感覚を覚えていた。  日野さんは僕と同じくフードコートで遊ぶ子供達をぼんやりと眺めながら言葉を続ける。 「それまで、あんな風に普通に一緒に遊んでた子達が、遊ぶ時のお金を奢ってくれって言うようになった」 「それ……は……」 「最初はね。お菓子とかジュースとかだった。だから、笑って我慢してた」  ――これはきっと、単純な仲違いだとか、そんな生易しいものに起因している話じゃない。 「けど、中学に上がって、気が付いたら周りはみんなあんな感じだった。もう、笑う気にもなれなかった」 「無茶苦茶じゃないか……」  あの災害の以降、会社が色々言われた事は知っている。  けれど、現場の技術者個々人に蔑まれる謂われなんてあるものか。 「ご主人、この国の人間は昔からそんな感じなのであるぞ?」  日野さんに撫でられながらサクラがそんな事を言う。  勿論日野さんはサクラの事は普通の猫だと思っているので多分喉をゴロゴロ言わせているようにでも聞こえているんだろうから、僕はそれに対して受け答えするわけにもいかず、ただサクラの言葉を聞く事しかできない。 「こういう話の裏にはなご主人、往々にして周囲の大人達の僻みや妬み、やっかみが作用しているのがこの国のお国柄なのである。親の生業の話など、子供らだけの間で詳しく語られる事など、そうそうあないであろう?私が生まれた江戸の世の頃にもあったような話で別段珍しい事ではないのであるな」  聞いているだけで心に暗い影が延びてきそうだった。 「人間の子供らは、大人が何のけなしに口走った陰口を聞き、それをそのまま――否、面白おかしく脚色して吹聴するのである。純粋であるが故、穢れを吸い込むのもあっという間。そして善悪と加減を知らぬが故、それをする事に迷いが無いのであるな」  ……吐き気がする。  この手の話はネットのニュースで全国探せばいくつも見つかるのだろうけど、そこには何か大昔の村社会文化に根差した負の風習が見え隠れしている。  子供達の間だけで発生した喧嘩のようなものであったなら別だったかもしれないけれど、周囲の大人たちがそうした土壌を作ってしまっていたのだとしたら、当事者の子供にはそれを回避する手立てがないじゃないか。 「悪い事だって思っていないから、あの子みたいに悪びれもしない。……だから、中学の子達とは、卒業してから連絡取ってなかった」 「……日野さん」  彼女の表情は、やっぱり見た感じ殆ど変化していない。  苦々しい思いや、辛い過去を語る躊躇いも表情には表れていないように見える。  けれど、淡々と過去の出来事を、まるで教科書の年表を読みあげるでもするかみたいに話す様は逆に、それを見ている僕の精神を容易く抉っていく。 「家に飼い猫が居たの。サクラと同じ黒猫。何年もその子が友達だった。……けど、歳だったから去年死んじゃった」 「それでサクラが気に入ったんなら、好きなだけ遊んでやってくれて構わないよ」 「……うん」 「私の承服無しに話を進めるのはいかがと思うのであるが……まあ良いのである」  日野さんに顎の下を撫でられても抵抗しないあたり、サクラにも思う所が多少なりあるのかもしれない。  僕はその様子を眺めながら、昨日彼女が言った『考えるのも辛いことで、自分だけの問題なら、無理に向き合う事はないと思う』と言った言葉を思い返していた。  なるほどあれは、僕だけでなく自分に対しても発した言葉なのかもしれない。  相手方に自覚が無い事は、どうやったって悔い改めさせる事はできない。  ならば現状疎遠になっていたのであれば、積極的にあちらから接触してこない限り考える事自体をしない、と言う事なのだろう。  日野さんがそう結論付けていて、昨日の子達が実際にちょっかいかけてきたりしないのであれば、もう僕にできる事は一つだと思った。 「――日野さん」 「……何?」  サクラを撫でる手を止めて日野さんがこちらを見る。  サクラも僕の方を見上げてジッと見ている。  しばらくの沈黙の後、こんなことを改めて口にするのも初めてだなと思いながら、僕は言った。 「友達に、なろう」 「――――」  再び流れる沈黙。  日野さんもサクラも目を丸くしている。 「あー……幼稚園じゃあるまいし、我ながら変な言い方だとは思うけど」 「ご主人……もう少し気の利いた言葉と言うものはないのであるか」  ……うるさいな。  僕だってコミュ力がそんなに高いわけじゃないんだぞ。  僕が呆れた感じのサクラを睨んでいると、 「朝霧君」  日野さんは少しの間の後、 「朝霧君は……変な人だね」  そう言って、いつもよりほんの少しだけ柔らかい表情で言ったんだ。
/201ページ

最初のコメントを投稿しよう!