第五章 傘

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第五章 傘

 1  病室の奥、無表情で漫画本を読んでいたサッカー部の相良部長は先に病室に入った悟を笑顔で歓迎したものの、後ろに居た僕を見て少し怪訝な表情になった。 「……君は?」  クラスも違う、面識らしい面識もない人間が訪れたのだから当然と言えば当然だ。 「……あー……っと。コイツ、朝霧ってんだ。一年から同じクラスでさ」 「……えっと、わりぃ。俺、喋った事あったっけ?」 「あ、いやごめん。多分、無い」 「……」  案の定気まずい空気だが致し方ない。  どの道この後、もっと気まずくなるであろう話をしなきゃならないんだ。 「復調してない人にこんな話を聞くのは正直気が引けるんだけど、あんまり悠長にしても居られないんだ」 「…………?」  相良部長の僕を見る目が、一層険しいものになった。 「……日野について?」 「そう」 「あー……そうだな……中学出てから全然喋ったりもしなかったんだけどな。地元の連中と今年は南中の同窓会やるかって話が出てよ。それでこの前久々に話しかけたくらいかな。断られたけど」  相良部長はさして何か感慨を抱く素振りもなく、手元の漫画本に視線を落としながら言った。  ――……中学を出てから接点はごく最近まで無かったのか。 「……うちの高校で、他に同じ中学出身者は?」 「いや、いねーな。俺と日野だけだよ」  回答を引き出すごとに、明確な形を得て居なかったものの輪郭が徐々にはっきりと見えて来るのを感じていた。  やっぱりあの妖は、日野さん本人と善かれ悪しかれ何かしらの因縁があった人間を優先的に狙ったんだ。  そうする事で日野さん自身の周囲に疑心と不安を撒いて、自分の好物である負の感情を効率的に集めようとしている。  日野さんとここ最近因縁があった人間の目星がつけば、サクラの力が戻るまでの間に被害が出る事を防げる可能性は高くなると言う事だ。  これで最低限聞くべきことは聞くことができた。  ……けれど。  僕にはもう一つ、相良部長に聞いておかなければいけないあ事がある。 「――それと中学の時……」 「……?」 「――日野さんとトラブルがあったクラスメイトについて教えて欲しい」  相良部長の漫画本をめくる手が止まり、僕の方へ視線が移る。  それは、見付からないと思っていたテストの悪い点数の答案が親に見付かってしまった子供の様な表情だった。  壁にもたれかかりながら僕らの話を聞いている悟の眉間にも、皺が寄っている。  悟には電車の中で僕がこうして相良部長に日野さんの中学時代にあった事について質問をする大まかな主旨を説明していたとは言え、一緒に部を引っ張って来た仲間に対してそう言う疑念を持たざるを得ない事で複雑な心境なんだろう。  それを強いる事になった僕も心が痛んだけれど、だからと言って僕は目の前の疑問を放り出すわけにはいかないんだ。 「誰も、日野さんを助けてあげられなかったの?」 「…………それは」 「誰も、異常な事だって思わなかったの?」 「…………」 「寄ってたかって同級生に遊びの金を無心するなんて、まともな人間のやる事じゃない……!」 「おい、夢路……」  僕の声が知らずに大きくなっているのに気付いた悟が止めに入ったけれど、堰を切ったように溢れ出る感情が次々と言葉を押し出して来る。 「それを罪だって自覚する気持ちがあっても無くてもだ……!」 「……君は」  僕の剣幕に気圧されたのか、相良部長の頬には冷や汗の様なものが見える。 「この間ショッピングモールで中学時代の同級生って女子が日野さんに『また咲の奢りで遊びに行こうよ』って言って来たんだ」 「……そりゃあ多分、厄島だ」  具体的な心当たりがすぐに出てくるって事は、過去の事実関係もきっとその通りなんだろう。 「僕はあの子の名前までは知らない」 「クラスの女子達を煽って率先してそれをやってたのは厄島だ。俺達男子も感づいてたけど、アイツは成績も良くて先生受けも良かったしクラスの中心だったからな。手出ししてこじれると厄介だったから俺達も結局何も言えなかった」  憐憫の情を抱いていたと言いながら、自分の立ち位置を維持する事を優先せざるを得なかったと言う言い回しに対して、激しい嫌悪感が込み上げてくる。 「傍観していても、手を差し伸べようとして躊躇って手を引っ込めたとしても一緒だ!」 「…………」 「誰かが、本気で手を差し伸べていたら。……人一人が何年も笑う事ができなくなるなんて事無かったんだ!それを――」  そこまで言った所で、僕の肩を悟が叩いた。 「……夢路」 「――――」 「悪ぃけど、今日はそんくらいにしてやってくれねーか。それに一応ここ病院だしよ」 「あ……すまない」 「いや」  肩に置かれた悟の手は、心なしか震えていた。  病室を出る時、相良部長が僕に向かって何事かを呟いた。  小声でよく聞き取れなかったけれど、その口の動きから何となく『偽善者』と言われた様な気がした。  陽の傾いた駅までの帰り道を、僕らは歩いていた。 「頼むから病室じゃもう少し静かにしてくれ」 「……ごめん」  悟は僕の少し前を歩いているので表情を窺い知ることはできないけれど、僕が自分の友人に詰め寄った事自体に対して批難するような事はしなかった。 「夢路があんだけ怒るなんて記憶にないし、まあ……確かに気分悪ぃ話だったけどな」 「……正直、僕には理解できない」  僕は空に向かってぼやいたけれど、 「んー……胸糞悪い話だけどさ。実際その教室の中に自分が居たら、止めに入れたかって言ったら断言できるかわかんねえな」  悟の見解は僕とは異なっていた。 「……どういう事?」 「自分に取って特別仲いい奴だったらどうにかして状況を改善するために手を貸そうって思うけどさ。でも現実問題……例えば今のクラスで言ったって一学期から殆ど喋った事ないやつだっているだろ? そう言う奴のために体張れるかって言ったら、お前自信持って出来るって言えるか?」 「……それは」  理想論に依らない悟の言葉に、僕は反論ができなかった。  自販機の前で立ち止まった悟が炭酸飲料を二つ買って、一つを僕に向かって放り投げる。  悟はごくごくと豪快に半分くらいを一気に飲んでしまった。 「後から聞いた話に綺麗ごとで文句言ったって、その時の日野に手を貸してやれる奴が居なかった事は今更変えられねーだろ」 「けど――」 「――だから、さ。『皆誰も仲良しこよし』ってのが実際問題無理があるってんなら……今近くに居るお前が、昔日野に手を貸してやらなかった奴らみたいにならなきゃいい」 「……」 「……俺もよく知らねーやつのために体張れる様な出来のいい人間じゃねーけどさ。お前がそうまでして日野の力になろうとしてるってんなら、俺がお前に手を貸すだけの理由にするには充分だ」  ……まいったな。  普段勢い重視で行動しているように見えて、その実僕よりよっぽど現実を見据えているじゃないか。 「……ありがとう、悟」  僕が礼を言うと悟はニヤリと笑って、肩を組んできた。 「普段草食系ぶってる夢路の案外熱血なとこなんて面白えモン見れたしな」 「……改めて言われると物凄く恥ずいな」 「そうか?小難しく考えて行動しなかった奴より、個人的な事情見え見えでも行動する方が人間味があって俺はいいと思うけど?」 「個人的って……」 「何だよ、違うのか?」 「……」 「……」 「…………違わない、けど」  渋々僕が答えると悟は背中をバシバシ叩いて来る。 「オーケーオーケー、そう言う事なら相良との事は気にすんな。そっちはもうお前が気にする事じゃない」 「悪いな、悟」 「そう言う事なら今度飯でも奢れ、飯」  カラカラと笑う悟のノリに救われながら、僕はやはり気恥ずかしさを抑えきれずに足を少し速めた。
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