7人が本棚に入れています
本棚に追加
城山の回答を聞くと、丹下は考え込む素振りを見せながら、次のように問うた。
「そういえば君、入社して何年になる?」
「今年で六年目です」
「ほう、なるほどね…」
酒豪の丹下が珍しく手にした酒に口を付けないまま含みのある表情をした。
「折り入って話があるんだがね、悪い話ではないと思うのだが―」
「ええ、話とは何でしょう」
「来年から、ソ連に飛んでくれないか?」
「は、はい? ソ連?」
城山は、丹下の口から飛び出した突飛な内容に、頓狂な声で反応した。
安徳工機の人事規則は、基本的に三年でローテーション。例外はない。
これは人材を一箇所に固着させず流動的に配置することで、社員に広い見識を持たせる目的の他に、仕事を属人化させない目的もある。
翌年、入社七年目となる城山は、本来、人事異動が言い渡されても仕方がない頃合だが、新婚の城山にとって海外出向は些か酷な宣告であると思われた。
「聞くところによると、律子さんのお腹の中には二ヵ月の子供が宿っているらしいじゃないか。養育費、住宅ローンと、これから何かとお金がかかるだろう。ソ連に行けば危険手当と海外手当がつく。それに、もし君が死んだら莫大な保険も下りるし、最高じゃないか」
律子が妊娠している事実は、ごく親しい知人にしか伝えていなかったが、何故、丹下が既知なのか、城山は不可思議に感じた。
しかし一方で、人事部長という役職柄、丹下は部下の来歴や素行については具に把握しており、どこからか嗅ぎ付けた情報を公にしてみせたのだろうと、そう感じた。
サラリーマンたるもの上司の辞令は絶対であるが、一方で城山は、来年四月を予定している妻の出産に立ち会えないことを心残りとした。
「今の給与じゃ、一軒家は厳しいだろうし、子供も公立しか入れんだろう。家族寮のある西濃はお世辞でも教育レベルが高いとは言えない、子供がグレタら嫌だろう?」
丹下は冗談めいて言ったが、城山は毅然とした態度を崩さず、
「ええ、お言葉は大変喜ばしいですが、しかし、新婚でかつ来年四月に控えた出産に立ち会えないことを思うと、足が竦む思いすらします」
と暗に断りの意を伝えてみせた。
「いやぁ、そう思うかい。しかしねぇ、他に良い人材がおらんのだよ。君もよく知っているだろう、今の人事部の低落ぶりを」
丹下はそう言うと、関係者席を一瞥した。
二人の会話に耳を傾ける素振りもなく、早々に顔を赤らめる人事課員面々。
最初のコメントを投稿しよう!