茶室――侯爵と藤春

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「図案でなくとも、絵を描くことはしているのだろう」 「ほんの手慰みです。お見せできるようなものでは……」  侯爵は整った眉を少しひそめた。 「勿体ない。以前に考案した光琳風の絵柄は人気もあったし、何よりお前はまだ若い。絵筆を棄てるには早すぎる」 「僕のことより、新しく入られる方はどんな人ですか。染色をされる方なら、実家の縁で存じ上げているかもしれません」  首にかかる真綿を振り払うように、藤春は無理に話を変えた。侯爵も目の前の細面が青ざめているのを見て深追いはせず、話題は新しく朧月会に入る男の話へと移った。  大木廣正はこの春で二十歳になる染色職人だ。ちょうど二年前、独立を機に上京した。その前は加賀にいたらしい。藤春が着物から離れたのと入れ替わりに頭角を現してきたためか、名前を聞くのは初めてだったが、実家の呉服店に行けば彼が染めた反物のひとつくらいあるかもしれない。 「寡黙だが仕事の腕は確かだし、誠実な人柄であるように見えた。きっと会の皆ともうまくやっていけるだろう」 「……ずいぶん、高く買っていらっしゃるようで」  いつになく心が波立つ。朧月会の同志も四季館での暮らしも、すべて侯爵によって与えられたと言って過言ではない。藤春にとって侯爵の心が他に移ってしまうことは親に見放されることに似ていた。 「彼を会に引き入れたのは、そもそもお前のためなんだがな」 「僕の?」 「いずれわかるさ」  それきり、侯爵は藤春がいくら尋ねても口を割らず、あまつさえひたむきに自分を見上げてくる青年の口をその口で塞いでしまった。
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