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そう言えば何度か、駅の待合室の椅子に
座っている祖母に会ったことがある。
「歩いてたら疲れちゃったから、
休ませてもらってるの。」
何してるの?と尋ねる私に、
祖母はいつも笑ってそう答えた。
しかし今思えばきっと、
新しく建て替えられ
昔の面影などどこにもない駅で、
戦地へ旅立つ祖父の姿を
1人思い出していたのだろう。
やるせない思いで読み進めていくと
翌年の3月の出来事に目が留まる。
<昭和23年 3月20日 土曜日
今日、我が家をひと組のご夫婦が
訪ねてくれた。
満州で尚一郎さんと同じ宿舎にいた
佐々木さんと言う方です。
家を探し、わざわざ手を合わせに
来て下さいました。
尚一郎さんは満州にいらしたのね。
時計を直してもらったと
おっしゃってましたよ。
その後、尚一郎さんの部隊は
サイパンへ向かわれたと教えてくれました。
あなたのお話が聞けて、
とても嬉しかった。>
その後も祖母は帰還兵から
話を聞ける機会があると
積極的に出かけていたようだった。
祖父の部隊はサイパンからテニアン島へ
渡ったと言う話もあったらしいが
真偽を確かめる術はなかった。
「あ、手紙もあるわ。」
母が全ての日記を箱から出してみると
一番底に茶色く変色した2通の
封筒があった。
宛名は河野 多恵、祖母の名だ。
そして差出人は祖父、河野尚一郎。
「ああ、懐かしいな。」
父が封筒の中から薄い便箋をそっと出した。
<多恵、元気にしているか?
尚也や幸代も元気だろうか?
大きくなっただろうな。
私は元気にしているから心配はいらない。
皆、くれぐれも体に気をつけて。
昭和十八年 九月十七日 河野尚一郎 >
読みやすい、几帳面な文字で書かれた手紙は、
2通とも同じような文章だった。
短い手紙だが、どちらからも
家族を案じる気持ちが
溢れ出ているように思えた。
「この手紙を見せてくれた時、
お袋が言ってた。検閲なんかも
あったようだからどこに居るとか、
好きなように書けなかったらしい。」
父は手紙を丁寧にたたみ、また封筒に戻した。
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