その矢印の向かう先

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[22:04]会社員 高橋の場合 今日は彼を見ることができるだろうか。 二十二時頃にこの店の前を歩く彼を見かけることが何度かあったので、つい雑誌を読みながら待ってしまう。ストーカーじゃない。ちょっと気になる雑誌を読んでいるだけ。そしてそのついでにちょっと外を眺めているだけ。 駅で定期を落とした時に拾ってくれた田中さん。更新したばかりの定期ということもあって何度もお礼を言うと、田中さんは「そんな大袈裟な」と朗らかに笑った。 そんな彼を見て私は恋に落ちた。 お礼をしたいからと連絡先を聞いたけど、気遣いは不要だと断られてしまったので、私が知っているのは名前だけ。スーツ姿が様になっていたから、歳は私より少し上といったところだろう。背が高く、優しそうで、控えめで、私の周りにいないタイプの男性だった。 社会人三年目の女の営業成績が上位となると、職場の男性から生意気だとか調子に乗ってるとか、嫌な顔をされることが少なくない。そんな古い考えにはうんざりするけど、そういう職場なのだから仕方ない。グゥの音も出ないほどのぼりつめるしかないと負けず嫌いで可愛げのない私は思ってしまう。 とはいえ、そんな生活をしていると、気が張っていて息苦しいのも事実で、だから田中さんの笑顔が心に沁みたのだ。彼の笑顔を見て慢性的な頭痛が少し楽になった。気のせいかもしれないけど。でもこういうのは気のせいでもいいんだ。 あ、来た。 時計を見ながら歩く田中さんを見つけ、少し心臓が高鳴る。どうしたら彼に気づいてもらえるだろう。どんな再会がいいかと考えていたら、彼が一瞬こちらのほうを見た気がして、息が止まりそうになる。だけど、そのまま通り過ぎてしまい、落胆の息がもれた。 毎回何もできずにチャンスを逃してしまう。いい歳して中学生みたいで自分でも笑ってしまうけど、仕事みたいに積極的になれないのは、自信がないから。今まで付き合ったことのあるタイプと違いすぎるのだ。今までは自分からアピールしてくる人ばかりだったから、自分から何をしたらいいのかわからない。 こんな自分が情けない。 見えなくなった彼を探したけれど、やはり見つからなかった。
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