柿の木の呪縛《改稿版》

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身体が重い。 何をするのも面倒臭い。 秋も深まり、朝晩は冷え込んできたが、日中はまだ夏の余韻の残る陽光が注ぐ。 俺は柿の木の上の寝床で今日も、何をするでもなく、ただ、息をしていた。 どこぞの命知らずの阿呆が、京の都やその周辺を荒らし回る鬼を、退治に行く、とかなんとか、 村人が噂話をしながら、木の下を通り過ぎる。 ――鬼。 俺の幸せだった時間を奪い、 共に過ごしたお嬢の命を奪った、 あの冷ややかで野蛮な鬼どものことか。 一瞬、心がざわつく。 いや、どうでもいい。 それよりも、腹が減った。 枝にぶら下がる柿の実に手を伸ばし、もぎ取って口に放り込む。 夏場の天候不順で、今年は柿も不作だ。 甘味の少ない薄っぺらな味。 それでも食べる物を比較的簡単に手に入れられる秋は、生きるには一番楽な季節だ。 まあ、年中実をつけているこの柿の木さえあれば、そんな心配さえせずに済む。 何も考えず、冬の間、生きていける。 そう、俺は、あちこちを彷徨いながら、 ただ生きるためだけに、生きている。 俺は群れに属さない離れ猿だ。 親の代から里で人間とともに暮らしてきたから、今さら山の猿の群れには戻れない。 数年前まで俺とお袋は、俺達と話のできる不思議な人間の娘と一緒に暮らしていた。 村人からどんなに怖れられ疎んじられても、微塵の卑屈さも見せない明るいお嬢が、俺は大好きだった。 お嬢の母や祖母は人外の血を引いていたらしく、その頃からずっと続く村八分。 お袋は、独りぼっちになったお嬢の世話を甲斐甲斐しく焼き、 俺とお嬢はまるで姉弟みたいに育った。 お嬢が普通の人間だろうが人外だろうが、俺にはどうでもいいことだったんだ。 お嬢に想い人ができて、俺達はその人の許で暮らすようになった。 その人は、人ではなくて、――犬を連れた優しく寂しい「鬼」だった。 睦まじい二人にお子が生まれて、 ようやく、ようやく、人里離れた静かな山の中で、 落ち着いた幸せな日々が訪れたのだと、 そう、思っていたのに。 隠れ住んだ山を人間に焼かれ。 優しい鬼はお嬢と我が子を庇って、鬼の仲間に討たれ。 火の手の迫る崖で退路を断たれたお嬢は、俺の目の前で矢に貫かれ……。 最期の力で我が子を桃に封じ、崖下の急流に託したお嬢。 ただ見ているだけしかできなかった、俺。 俺の心の灯は、あの時、消えた。
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