柿の木の呪縛《改稿版》

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その日、早くも冬支度を始めた山ではまったく食べ物が手に入らず、俺は焦っていた。 お袋は朝から具合が悪く、寝込んでいた。 唯一見つけた干からびかけた柿の実は、歯の悪いお袋には食えそうにないから、とっくに俺の胃の中だ。 何かしら精のつくものを食わせてやりたいのに。 たまたま、美味そうなむすびを抱えた蟹が、えっちらおっちら歩いて来た。 脅してむすびを取り上げても良かったのだが、ちょうどさっき食った柿の種がある。 俺は蟹を騙くらかして、むすびを柿の種と交換した。 翌日同じ場所を通りかかると、あの蟹が俺の教えた通り馬鹿正直に、種を植えて柿を育てていた。 どんな術を使ったものか、柿の種は芽を出し葉を付け枝を伸ばし、瞬く間に成長して、たわわな実をつけた。 昨日干からびた柿を一個食ったっきりで腹を空かせていた俺は、 早速その柿の木によじ登り、見る見る熟れていく柿の実を、片っ端から腹に収めた。 蟹が、寄越せと叫ぶ。 ああ、そう言えば「俺がもいでやるよ」と木に登ったんだったな。 適当にそこらの実をもいで放り投げたら、ひとつ混じった固い青い実が、蟹に当たってしまった。 蟹は泡を吹いて、 ――そのまま事切れた。 泡の中から現れた、小さな沢山の目、目、目。 生まれたての子蟹のその目に宿るのは、どこかで見たような、熱く黒い炎。 あの目は、――俺だ。 俺は、 ――俺は、何をした? 茫然としたまま、俺はお袋のもとに帰った。 俺に向けられた、焦げ付くような無数の熱い目が、脳裡から離れなかった。 訳のわからない不安が突き上げて来る。 紛らわすために刀を握っても、なぜかその日に限って刀は沈黙していた。 「何かあったのかい。 この頃のお前は何も話してくれないね」 「何でもないよ、おっかあ。 具合が良くなったら、そろそろ次の村に発とうか」 せりあがる不安に堪えきれず、俺は早々にその村を立ち去ることを決めた。 刀は何も言わなかった。
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