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何か言いたげだった彼女は、周囲を見渡し、こくりと頷いて僕の先をとことこと歩いた。横断歩道を渡りきったところで、くるりと振り向く。
彼女の目は、いつかテレビの特集で見た南国の海のように澄んでいて、僕は一瞬呼吸を忘れてしまう。そんな僕を余所に、彼女は躊躇いがちに吊り上げた口から、言葉を絞り出した。
「お礼を……したいな……」
そうして、僕らは沈黙した。雑踏のざわめきが、そんな彼女の呟きも流し去っていく。
「……なんて、言ってみたり」
流れて、消えて、なかったことになっていく。
「そこに、良さげな喫茶店が見えるんですけど」
「へ?」
僕の指差す方へ、彼女は間抜けな面を向けた。
入り口を縁取るアーチに、蔓が巻きつき、葉を茂らせている。店の壁に沿うように石造りの鉢が並べられ、そこには赤や黄色の花が深緑を基調とする店先を彩っていた。
「いい、ですね」
表情を明るくした彼女だったが、すぐに不安げに眉を下げる。
「時間、大丈夫? ですか?」
二つの疑問符を浮かべて、彼女は小首を傾げた。思わず吹き出しそうになるところを、懸命な真顔で堪えて僕は頷く。すると、彼女は再び笑顔を咲かせて、安堵の溜息を吐いた。
「じゃあ、行きましょう!」
使い慣れない敬語でそう言って、彼女は威勢よく歩き出した。
これが僕と君との、もう一つの出会いだった。
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