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「つぅ……」
認識をする前に包丁を外す。血は傷で赤く膨らみ、質量に耐え切れなくなって流れ始めた。舌打ちをしながらも食材に掛からぬように、急いで流しに持って行く。
はぁ、と空気が唇から逃れた。
何、やってるんだろう……そう自嘲に眉を寄せ傷を洗い出したところで。
「何やってるの?」
莱がいた。入口で、私より訝しい表情で疑義を訴える。
主張するな。私だって呆れてる。
「……何でも無い。切っただけ」
私が短く状況説明だけすると、莱の皺から解放された眉が片方だけ跳ねた。首を別に疑問も無いのに傾げながら私を眺めている。
「へぇ……めずらしいね。采がそんなことになるなんて。料理に不慣れな小さいときだって、そんなこと無かったのに」
昔を口にしながら莱は私に近寄った。音も無く近付き音も無く私の腕に手を添え音も無く、私の手を自分に引き寄せた。
「……随分まぁ、綺麗に切ったね」
よく研いでるものね、包丁。莱は揶揄するみたいな科白を、しかし淡泊な口調で紡ぐ。私はその視線に晒されるのが堪らず、ただ無反応で堪えた。
応えない私をどう見たのか。どう捉えたのか。莱は手を捕えたまま。ずっとその手を、切れた指を、見ていたくせに私に一度目配せすると。
「……いつっ……」
その赤を垂れ流す指を、口に含んだ。
流れる潮を啜るように、傷をねぶるように。
薄い赤い唇が、それより鮮やかな色を嘗める。
「……いやらしい」
鼻で嘲笑して、言った。放った言葉をどう取ったのか、莱は眼を上げて。
「……何が?」
笑った。湛えられた瞳には見え隠れするはずの含まれた意図は何ら見当たらず、存在をゆるされたのは純粋な好奇心や興味だけみたいだった。
純度の高いその関心に他人だったら迫力負けして怯んだだろうか。
「あんたが、よ」
まるきり子供みたいな相手を前にも居心地の悪さはともかく私はそうはならなかった。案外に私の神経が太いからでなく、単純に馴れてしまったからだ。
莱は我が儘な子供なのだ。引き籠もりで天使みたいに無垢でまさに子供─────同じ年数を生きて来たけれど。
純正培養にしたつもりも無いけれど、気が付けばこうなってしまった。親は両方甘やかすだけの放任主義者だしなるべくしてなったと言うべきだろうか。
近くに在る薄い色素、母に似た美人顔。思考回路を過るは私の実の両親。
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