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「まず、お客様にご注目いただきたいのがこのお椀。お椀は料理人の腕が最もよく表れるものだと言われており、北海道の日高地方から取り寄せた日高昆布のだしを使用しております。中に入っている具材――椀ダネ、とも呼ぶものは、料理長の舌を唸らせた比内地鶏。お客様の口に繊細な味と地鶏の柔らかさを感じさせる一品であると自負しております」
「こちらの向付(むこうづけ)はお刺身です。当旅館では向付を担当するものは必ず料理長としております。とある美食家が、刺すように切らねば美味い刺身とは言えないという言葉を残したことはまことであり、やはり老練の料理人でなければ、素材を活かす切り方や宝石のように光る刺身の美しい盛り付けというものが難しいのです」
「同じく美しいものといえば、この焼き物もそうございます。旬の白身魚を使用した焼き魚なのですが、料理とは五感すべてを使って楽しむものであり、季節に応じてもみじや桜などをあしらうことで、お客様の目にささやかな楽しみを感じていただければ、と思います」
「焼き物を召し上がる際には、こちらの小皿に用意しております、塩をお使いください。日本人にとって親しみ深い天日干しによって作った海塩は、調理の際にもふんだんに使われております。例えば、魚のヒレが焦げないようにするための化粧塩、魚の生臭さを消すための振り塩など、お客様にお出しする前から、お口に入るまでのことを考えて調理することを心掛けているのです」
「そして、こちらも忘れてはいけませんね。魚沼産コシヒカリを使ったご飯ですが……当旅館では、素材そのままのお味を楽しんでいただくためにあえて炊き込みご飯などにしておりません。あまり知られていないことなのですが、魚沼産コシヒカリにはその中でランクがあり、コシヒカリ、コシヒカリBL、コシヒカリPLなど様々。私共は最も舌ざわりの良いものを使用しておりますので、ぜひ味わっていただければと思います。お米は日本人が古来より食べてきたものであるからこそ、注力して高級なものをお出しさせていただいております」
女将が説明をし終えるころには、お客の期待はもう最高潮になっていた。巧みな説明と五感で楽しむことを前提に作られた懐石料理を前にして、我慢することなどできない。
そして、女将が客室の外に出て、そのふすまを閉めようとしたそのとき。
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