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「五十年前まで日本に多く分布していた桜はソメイヨシノという品種でね、これは江戸末期から明治の初めにかけて染井村の造園師や植木職人たちによって育成されたんだ。ソメイヨシノはエドヒガンとオオシマザクラという二種が交雑して生まれたサクラの中から、特徴のある特定の一本を選び抜いて接ぎ木で増やしていった樹なんだ。つまり単一の樹をクローン化したんだよ。すごいよね、あんなに昔からクローン技術の礎があっただなんて。  昔は春の訪れを表す言葉に、桜前線というものがあったらしいんだけど、これはソメイヨシノが開花する様を言ったんだって。……そうだ、ソメイヨシノの片親のエドヒガンという種は、ヤマザクラと並んでとても長寿の種だったんだそうだよ。ほら、この前見せた祖父の写真集の神代桜(じんだいざくら)、あれがその長寿のエドヒガンで樹齢は二千年以上だったって。他にも淡墨桜(うすずみざくら)樽見(たるみ)大桜(おおざくら)もゆうに樹齢千年は超えていたらしいんだ。けれど、どれも桜落の大災禍の際に枯れてしまった。今、僕が再生させようとしている桜の種や挿し木用の枝は、絶滅を予感した当時の植物学者たちが後世の研究者が桜を再生させてくれることを願って種子保存してくれたものなんだ」  話を途中で止めて、よっ、と力をいれて立ち上がる。途端に抱えた学術書の重さによろりと足がよろけた。思わず後ろへ一歩下がると、彩都の背中は逞しい手に支えられた。 「七瀬博士、それは重たいですから俺が運びます」 「あ、……うん、大丈夫だけど……、お願いします」  近いところで響いた低い声にさらに心臓が鼓動を早めた。彩都は稜弥に学術書を渡したが、彼は彩都が両手で抱えてやっとだった数冊の本を軽々と片手に持って運んでいく。 「確かに博士のお祖父様の撮られた神代桜は、老木でありながらも美しい花をつけていましたね。でも、どうして博士は桜を蘇らせようと考えたんですか?」  稜弥の質問に彩都は本を重ねながら、少し懐かしそうに目を細めた。
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