姫様の捕物控え・其の四(筒居仙太郎は、漢で御座る)

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 第一章  女医者のお淳  1・  妙信尼が暮らす尼寺は、新しく造営されると同時に、名を改めた。多寿姫の母の名から一字を貰い、妙光寺と名を改めたのである。  妙信尼に筒井仙太郎が備前岡山藩から連れ帰った子供を預けて、五ヵ月が過ぎた頃の事である。  その日、妙光寺の門の前には筒居仙太郎の姿があった。  妙信尼が暮らす尼寺にはその頃、近くの小石川養生所から女医者のお淳が、妙信尼の預かっている子供達がかかった風邪の診察の為に、診察に訪れるように為っていたが、その女医者を待っていたのである。  妙光寺は親の無い子供達を北町奉行所から十五人ほど預かり、養育していた。その為に妙信尼のほかにも、年配の尼君が五人ほど本山から派遣されて任に当たり、子供達と一緒に暮らしている。  その子供の中に、あの岡山藩のお隠れ忍びの二人の遺児も、混じっていた。  上州屋を筆頭に、日本橋にお店を構える豪商達の援助を受けて資金に余裕の出来た尼君は、子供達を育てる為に。お手伝いとして近隣に住む通いの百姓女を三人、寺男を新たに一人雇い入れていた。  暮らす人数が格段に増えた妙光寺は、一日中なんやかやと賑やかである。  年老いた庵主様も、寺を包む明るい雰囲気が病に良いのか、此のところ少し起きたりしている。  筒井仙太郎も時折は、妙信尼を訪ねて困ったことが無いかと気を配ったりしていた。  然し季節が変わるたびに、子供は当然のことの様に病気になる。  子供が病気になったと仙太郎に知らせが来ると、町奉行所から近くの小石川養生所に連絡が行き、治療が受けられるように為っていた。  小石川養生所から、担当の医者が往診に来るのだ。  そんな時は養生所の運営事務を担当している町奉行所の与力に変わって、同心を連れた筒井仙太郎が立ち会うのが常だった。  そして、妙光寺の担当医は本道(内科)が専門の女医者・お淳と決まっていた。  もっともお淳は、養生所の本雇いの医者では無く、看護士を兼ねたまだ見習いの医者である。
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