姫様の捕物控え・其の一(お家騒動の巻)

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 第一章  やんちゃ姫の誕生秘話  そもそも多寿姫を産んだお絹の方は、奥祐筆・田村重衡を仮親として西の丸の家治に仕える事に為ったのだが、元をただせば日本橋で飛脚屋を営む上州屋吉兵衛の娘だった。  日本橋小町と名高いお光を品定めした町奉行が、当時、家治の側女を探していた老中・田沼意次に「あの娘では如何か」、と勧めたのが切っ掛け。  お光はまだ十六歳だった。  やがてお光は、家治が十九歳の春に名をお絹と改め、千代田のお城に上がったのである。  お絹は器量が飛びぬけて良かったばかりでなく、心根の優しい可愛らしい娘だったからお手が付くのも早かった。  家治の寵愛を受けて身籠り、女の出世を叶えたように見えたが、江戸城奥の虐めは半端じゃない。  将軍家継嗣者のお胤を宿した、となれば尚更だった。  呪詛は当たり前の世界。  毒を盛られない様に意次も気を配ったが、女児を産み落とした後の産後の肥立ちが宜しからず、お絹の方は十八歳の華の命をあえなく散らしたのだった。  以来、大奥に縁るべき者も無く、頼りない身の上の姫は、大奥を束ねる大奥の実力者・松島の局の手に委ねられる事に為った。  押し付けられた松島の局は、いたって迷惑だった 。 「ご老中にお伝え願いたい。御台所様が大奥にお入りに為る前に、多寿姫さまを大奥からお出しするべきではないかと、わらわは思いまするぞ」  お広敷用人を通じて、御用部屋に届いた松島のこの言葉は、家治が将軍就任以来ずっと見せている正室候補・倫子女王への熱い執着心に由来している。  徳川家十代将軍・家重がまだ存命中に智子女王は京都から江戸に入り、お浜御殿を借りの宿舎とした。  そこへご機嫌窺いに出向いて、一目惚れをした家治様。  将軍・家重の喪にふくする為に、しばらく婚姻の儀は延期となっているが、それも喪が明けしだいの事。  大奥総取締役の松島としては、奥女中に産ませた姫などと言う厄介者は、婚儀の前に是が非でも早めに片付けて置きたいのが本音だ。  御用部屋の中では、将軍・吉宗時代からの朋輩の松平武元と顔を突き合わせて、眉間に皺を寄せた田沼意次でる。
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