奇妙さ、それは奇妙だ

5/13
0人が本棚に入れています
本棚に追加
/13ページ
 これをいじめだと思わない人だっているのだ。いじめというのは判断が難しいと思う。特に、その境界線が。何をしたら、どれをしたから、はい、即いじめ認定。そんな風に明確に決まっていたならば、こんなに楽なことはない。ちなみに、その場合を当てはめるなら、僕はいじめられっ子になってしまうだろう。例えば、人が使っている物をゴミ箱に入れたらいじめである、という具体的な規則があったとしたら、いじめなのだろう。その時は僕だって認める。大声を上げる。声高に叫ぶ。僕は、いじめられてます。  でも、今のところそんなルールは作られていない。いじめの基準というのは実に曖昧なのだ。 僕はいじめれている、という認識をさせようとしていた先生が言っていたことがある。 「被害を受けている人がいじめだと思ったら、それはいじめなんだ」  それを聞いて僕は、ほう、なるほどと思った。まさしくその通りだなとも思った。傍から見ればどうであれ、自分の気持ちに正直になるのが大切だと、そう教えられたようなものだ。  それなら僕は、大手を振って言えるというものだ。僕は、いじめられていません、と。  何故なら僕は、感じていないからだ。毎日の学校生活の中で受ける嫌がらせを、嫌がらせだとは分かっているけれども、それらをいじめだとは認識していない。だから、僕は、いじめられていないのだ。  そういうわけなのだ。僕は決して、断じて、いじめられっ子ではない。だって、いじめられているという認識が無いのだから。     
/13ページ

最初のコメントを投稿しよう!