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セレーネは誰にでも優しく、笑顔が柔らかかった頃の彼しか、知らない。
だから、氷の皇帝と呼ばれるようになった彼であっても到底そんな人になったとは信じられなくて、こうして助けを求めにきたのである。
だが、さきの言葉ではっきりした。彼は噂通りの、冷酷無慈悲な氷の皇帝なのだと。
峻厳たる態度。凛と佇む彼の姿は彫刻のように無機質で、酷く美しく残酷なものだ。
彼が約束を違え、そのまま会えなくなってしまってから十二年。
この長い時があればひとはこうまで変われるものなのかと、悲しくならずにはいられない。
早く祖国に救援を送らなければ滅んでしまう。
今こうしている間にも、民たちは侵略者によって殺され、悲鳴を上げているに違いない。
それなのに、最後の頼みの綱である彼に拒否されてはもうどうしようもなく、セレーネは絶望の色を浮かべた。
――ああ、どうかどうか……
震える身体を気力で抑え込み彼を見上げたセレーネは、繊細な楽器のような、美しい声で言葉を投げかける。
「ヌクルティス王国が我が国を手に入れれば、貴国も困るのではないでしょうか」
「ふっ。この帝国が危険にさらされると……? 笑えるな。温室育ちのあなたたちの耳にも、我が国の話くらい入っているだろうに」
かつん、かつん、かつん。革の靴を打ちつける高慢な音を響かせながら階段から降りてきた彼に、セレーネは華奢な顎を掴まれた。
あまりの美しさに肌が粟立つとは、こういうことを言うのだろうか。
高い位置で結っている彼の長い、ガラス細工のように透き通った銀の髪が、さらさらと落ちてくる。
形のいい眉と唇に、高い鼻梁。
その凄絶な美はただでさえ他者に冷たい印象を与えるのに、冷酷なアイスブルーの瞳に見下ろされては、堪らない。
「軍事力で他国に畏怖される大国となったこの帝国が、そうやすやすと陥るとでも思っているのか? いいや、思っていないな。だからこそあなたは我が国に助けを乞いにきたのだろう? 我が国の軍事力があれば、今の貴国の状況を打開できるのだからな」
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