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第一回 夫婦会議
帰ると部屋は真っ暗で、ひんやりしていた。
咲がいなくてホッとしたような、寂しいような複雑な気持ちでシャワーを浴びた。
鏡で胸の赤い痣を見ると、無意識にため息が出た。
昨夜は久し振りのセックスに興奮して、お互いに印をつけあったのに、まさか数十分後には別々のベッドで眠るなんて思いもしなかった。
十一時を過ぎても咲は帰って来なくて、俺はとうとう酒と睡魔に負けてしまった。
翌日の朝も、ベッドに咲の姿はなかった。けれど、キッチンで物音がして、咲が朝食の準備をしているのがわかった。
謝ることは気が重いけれど、そうしなければ咲はベッドに戻ってきてくれないだろう。
俺は深呼吸をしてから、部屋を出た。
「おはよう」
俺を見る咲の目は、明らかに怒っていた。
「おはよう」
そして、テーブルに俺の朝食はなかった。咲は一人で食べていた。ご飯にみそ汁、目玉焼きにウインナー、キャベツの漬物。
食べなれた朝食にありつけないことに、俺の胃袋がよだれを垂らした気がした。
昨日のうちに謝っておけばよかった――。
朝からこんな重たい空気に身を置くことになり、俺はほろ酔いで気持ちよく眠ってしまったことを後悔した。
正直逃げ出したかったが、咲の全身から溢れ出る怒りのオーラに屈することなく、俺は口を開いた。
「咲、この前のことだけど……」
お椀に口をつけたまま、咲が俺を見た。俺には睨んでいるようにしか見えなかった。
「ごめん……言い過ぎた」
咲はお椀を置いて、俺から目を逸らした。
「わかった」
空腹のせいか、その一言に無性に腹が立った。
「何、それ」
「何って?」
「謝ってんのに、なんでそんな態度なんだよ」
「わかったって言ったでしょう?」
咲の落ち着き払った態度が、見下されているように感じる。
「わかってねーじゃん!」
「わかってないのは蒼でしょ!」
咲が箸を置いて、俺を見た。
「はっ?」
「本当に悪かったと思ってる?」
「思ってるから謝ったんだろ」
「そもそも、結婚式って嫌がる人間に無理にさせるもの?」
さすがにこれは聞き流せなかった。
「違うだろ! つーか、そんなに嫌がる方がおかしいだろ」
「女はみんなウエディングドレスに憧れてるとでも思ってる? 結婚式なんて見栄じゃない!」
「それの何が悪いんだよ!」
「誰のための結婚式よ! 隣でお行儀よく愛想笑いして欲しいなら、違う女と結婚すれば良かったじゃない!」
「いい加減にしろ!」
自分でも驚くほどの大声で、咲を制した。咲の身体が緊張で強張ったのがわかる。
咲は食べかけの朝食を置き去りにして、出て行った。
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