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それから数日して彼女の葬式がつつがなく執り行われた。彼女は身寄りが年老いた祖母しかいなかった。
「あの子を守ってくれてありがとう」
と。泣きながら祖母に言われた時に、僕は何も答えを返せなかった。
誰も居ない真っ暗な家に帰ってから、ふとちゃぶ台の上に彼女から手渡された木箱が置かれているのが目に入る。
あの日以来手にしていなかったそれを耳元で軽く振る。あの日と同じ様にかさかさと音がする。
何の気なしに中身が気になって開けて見ると、中には折りたたまれた懐紙が入っていた。
『私にとって人生です』
細々とした声が頭の中で聞こえた。
懐紙を広げると中には乾燥した小さな種がしまってあった。それをまじまじと見て、僕は思い出した様に「あ」と声を上げる。
これは僕が彼女にあげた種だ。初めて彼女に声をかける時に切っ掛けが欲しくて、近くの生花店で買った樗の花の種だ。栴檀の花で薄紫の可愛らしい花が彼女に似ていると渡したら、彼女は困った様に笑いながら「私ではこんな立派なものは育てられませんよ」と一蹴されたのだ。
てっきり捨てたものだとばかり思っていたが、そうか、彼女は覚えていてくれたのか。
じんわりと胸に広がる温かさを感じていると、懐紙に綺麗な文字で「麓の祠のかたわら」と書かれていた。彼女の字だ。
僕は弾かれた様に草履を履いて、山の麓に建てられた祠へ走った。宵闇にとっぷり浸かった山道は視界が悪かったが、満月が足元を照らしているお陰で比較的直ぐに祠を見付ける事が出来た。
其処には苔むした祠と、その横にひっそりと寄りそう様に立つ満開の樗の木があった。月明かりに照らされた花ははらりはらりと僕の上に舞い落ちる。
泣いている様だった。彼女を悼んで泣いているのだろうか。それともこの木自体が彼女なのだろうか。
答えは分からないが、花が舞い散るのと同時に堰を切った様に僕の両目からは涙があふれていた。生温い水は彼女が大事に育てていた樗の花と同じ様に、重力に負けて床にぽつりぽつりと薄暗い染みをつける。
彼女が僕との出会いを人生と言ってくれるのと同じように、僕も彼女との出会いが人生そのものなのだ。
僕は泣きながら彼女に最期に伝えた言葉をもう一度呟いた。
君に出逢えてよかった
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