第2章 野党共闘。

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 石田三成41歳、徳川家康58歳の違いであり、徳川家康は55歳定年だった現代でも定年後の戦いだったことを忘れてはならない。普通だったらとっくに引退している年齢であって、156㎝の身長であり、良くも、戦いに挑んだということであった、人生僅か50年の時代であったが、石田三成は当時としては41歳という丁度、戦闘適齢期であったが、戦よりも政治や財政に長けた人間石田三成だったのである。1599年3月4日に加藤清正ら7人党から襲撃を受けて、10日には奉行職を罷免され伏見から佐和山城に移った三成は人望の面からも掛けていたところがあったのであろう。その後に留守居役として徳川家康が伏見城へ入場し、10月1日には大阪城、西の丸に移る。徳川家康の方が人間関係に対する上手さが光った事件だったが、石田三成は実直すぎて武闘派から嫌われたのであろう。  歴代首相経験者の話し合いなど、10・22解散の説得を話合われたのだろう。逆風の中での選挙は一応、根回しは行われていた。臨時国会も開かず、説明責任もしない石田三成は、本当に今度の選挙に勝つだろうか。「どうも、甘い気がしてならない」と儂も感じるのじゃ。選挙というものは、小選挙区比例代表制はオセロゲームと同じで、一度、ひっくり返すと、軒並み、黒から白に替わってしまうゲームなのじゃよ。石田三成にも甘さがあって、勝敗は歴然としているのに、戦うのかな。  九州、四国、中国地方では西軍は強いが、関東、東北を含めた首都圏では大敗するであろう予感は儂はする。そんな簡単に勝てる戦ではないぞ。
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