第3章 女の戦い

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第3章 女の戦い

淀殿と同じ近江出身で文治派の石田三成と、北政所と同じ尾張出身の武断派の加藤清正と福島正則。、両派の対立は天下大乱の導火線となった。  家康は豊臣政権内部の対立を煽動させながら親徳川勢力の拡大を策した。  五大老の上杉景勝、毛利輝元、宇喜多秀家は西軍に。五奉行の前田玄以、増田長盛、長束正家等は転向派で浅野長政と含めて東軍に付いた。  旧保守派と革新派との戦いだった。西軍の石田三成は秀頼を担いで挙兵したが、秀頼の母は淀殿であったので、彼女は西軍を応援した。それに対して、東軍は尾張出身の武断派の加藤清正と福島正則と五奉行の大部分が付いて、北政所も東軍を応援していた。  正室の北政所と側室の淀殿の女の戦いでもあった。徳川家康と石田三成の戦いを表の顔とすると北政所と淀殿の戦いは裏の顔だった。  見えない。直接、戦わない女の戦いは日陰の戦いではあったが、激戦だった。両者負けられない戦いであり、負けた方が滅びるのであった。  現代版では「希望」を掲げて日本のジャンヌダルクの登場であった。勿論、東軍の改革派であって、保守派のキャスターとは違って、大物政治家であった。  西軍には強力な女性は東軍ほど見当たらないが、それでも、女性の戦いであった。東軍の強力さには及ばないけれども、数の面では勝っていた。東軍のジャンヌダルクは100人もの候補者を立てると活き込んでいるが、西軍の魔の2回生は100人近くいるので、そっくり入れ替わる可能性も大であった。100人も入れ替わるという無謀な戦いに挑む石田三成は、焦りすら感じさせるじゃのう。東軍の家康に女傑のジャンヌダルクでは強力過ぎる。戦局に有利さが見える関ケ原の戦いは、実際はどうなるのか?     
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