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〝千紗。人生は一度きりだからね、楽しんで生きなさい〟
記憶の中の祖父は、その年代の人には珍しく自由奔放に生きる人だった。
レールに沿って生きる人生なんてもってのほか。高校を中退して海外を歩き回り、その経験を生かして貿易会社を設立しては軌道に乗ったところで人に譲り、また新しい何かを求めて旅に出る……そんな人だったらしい。少しでも道を外れると社会から阻害される現代において、ちょっと想像がつかない生き方だ。
孫である私との年齢差は四十も五十もあっただろうが、いつも祖父の視線は私と同じ高さだった。それは私がどこか年の割に大人びていたからなのか、それとも祖父の精神がいつまでも子供のようだったからだろうか。
祖父のことは、特別好きでも嫌いでもなかった。
ただ、そんな祖父に振り回される祖母のことが気になっていた。祖母はそんな祖父にも慣れた様子で、どんな振る舞いも軽く受け流していたようだったが。
祖父が亡くなったのは十ニ年前、私が五才の頃。
だから、語る程の記憶は無い。
「ごめんください」
夏の日差しに微睡み、持ってきていた漫画を放り出し眠りにつこうとしていたところで、玄関先から声がした。
急に騒ぎだした蝉時雨に急かされるように、パッと身を起こす。全身が汗だくで、Tシャツの裾でそれを拭った。クーラーの効いた味気ないマンションと違い、簾の掛かった縁側は夏の気配を体中に感じさせてくれる。
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