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そう言って、相手の自転車のフレームに自分の前輪を取り付けた。
「リタイアって……お前、最後の大会なのに」
そうだ、これは高校三年生のときの全国高校総体だった。
「おお。最後の最後に『これぞアシスト』ってのやらせてくれ」
「ユキ……」
雨に挑むように顔を上げる。こいつも頭ではわかってるはずだ、と晴行は思う。ただ、いざチームメイトを犠牲にしなければならない場面に直面して、踏み出さなくてはいけない一歩を心がためらっているだけだ。
こういうときは、置いて行かれる側よりも、置いて行く側の方が精神的な負担が大きい。だから、進む者の躊躇は残る者がすっぱりと切ってやらないといけない。
「行け! エースはお前だろ!」
わざと、大きな声を出した。
相手は反射的にサドルに跨って、ペダルに足をかける。
無言のまま、一瞬だけ目を見交わす。それだけで充分だった。礼も謝罪も労いの言葉も、何ひとついらない。今はレース中だ。
勝て、と念じながら、晴行はその背中を強く押した。
吹き降りの雨の中を、彼が再び走り出す。
使い物にならない前輪と共に置き去りにされたその場所が、晴行の競技生活のゴールだった。
一片の後悔もなかった。
あの日以来、自転車に乗るときはいつも一人だ。
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