第1章

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第1章

 国道246号線、通称青山通りを渋谷区から港区へと抜けた辺りで、信号が黄色から赤に変わった。指切りグローブをはめた手でブレーキレバーを軽やかに引くと、愛用のロードレーサーは水面を滑るように静かに停止する。通勤の車列の一番左端で、晴行はサドルからすいと腰を前に上げた。  自転車のトップチューブを跨ぐようにして地面に足をつけ、あくびをかみ殺す。寝不足のまま自転車に乗るのは集中力が落ちるので危ないのだが、雨も降っていないのにわざわざ満員の通勤電車に乗る気にはどうしてもなれない。大体、乗り換え時間などを考えると自転車の方がよほど早い。  交差点を二段階右折して裏通りに入る。スピードを緩めて、スマートフォンを見ながら歩いてきた歩行者をひらりとよける。  会社の手前の三叉路の脇には、石塀を窪ませたような形の植え込みがあって、狭いスペースに何かの言い訳のようにベンチがひとつ設置してある。その脇に「保存樹」とプレートのかかった桜の古木がそびえている。     
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