世界観

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【ヴェルディア帝国の政争史】 【皇帝フリードリヒ・ヨーゼフ三世朝の後期】 ①名門貴族層の衰退 帝国宰相オステンフルス公と内務卿リューネブルク子爵の対立。 名門貴族のオステンフルス公派と官僚・有力市民を背景とした子爵派の対立が激化。 (この時点では政策を巡る対立ではなく純然たるイニシアチブを巡る内ゲバにすぎない) オステンフルス公をでっち上げた国家反逆罪で告発した子爵派に対し、オステンフルス公が蜂起。 私兵および陸軍の一部を率いた反乱軍が一時、皇都を制圧。皇帝フリードリヒ・ヨーゼフ三世は皇都・琥珀離宮に軟禁状態となる。 オステンフルス公妃の従兄弟にあたる皇弟・コンラート大公の擁立が検討される。 反乱勢力による臨時御前会議により、リューネブルク子爵一派の罷免および処刑が行われる。リューネブルク子爵派の壊滅。 秘かに皇都を脱出したリューネブルク派の内務次官・ベルリヒンゲン侯は、反乱勢力に擁立された新神祇官長と対立する神祇官バッハオーフェン卿と秘かに通じ、カウンター・クーデターを画策。 内務卿派の推挙により貴族に列し、内務卿派に恩義のある東方軍司令長官クロイツ大将の下に逃れた二人は、クロイツ大将の軍事力を以て反乱勢力を駆逐する事とし、外地にて決起。 一方、皇都でも反乱の首領オステンフルス公と宮内卿のハーゼンドルフ伯らが対立。 共通の敵であった内務卿派を打倒し、利害の対立が表面化したのである。 粛清の危機に瀕したハーゼンドルフ伯は、皇帝を秘かに皇都より東方軍勢力下のシュタイエンマルク宮に避難させ、反乱軍討伐の詔が発せられる。 皇帝も、自身を廃位しようとした反乱軍に不快の念を抱いていた。(かといってリューネブルク派残党に肩入れしているわけではない) 皇帝に叛く積もりのない皇弟コンラート大公および宮廷の人々は恭順を表明。 反乱の首領オステンフルス公は粛清され、皇宮の門は開かれる。クロイツ大将らの軍勢は皇軍として都へ帰還する。 オステンフルス公派壊滅により、従来の有力貴族層はことごとく権威を失墜。 神祇官長となったバッハオーフェン卿、内務卿となったベルリヒンゲン侯が宮廷の中心となった。 【皐月の乱】 ※保元・平治の乱をモデルとする。
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