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よく磨かれた廊下を進み、二階へと案内される。
「ここは知り合いの家で、僕は下宿させてもらっているんです。勤め先から近いので」
勤め先とは、海軍機関学校のことを言っているのだろう。夏目はなめらかな所作で障子を開き、隆一を先に進ませた。
中へと足を進め、隆一は感嘆の声を漏らす。部屋には床が抜けないかと心配になるほどの蔵書があふれていた。
「ここは書斎ですか」
漢書らしき書物もあれば、表紙に横文字の並んだ本もある。隆一の読める文字のものだけでも、今昔物語からシャーロック・ホームズまで、時間と国を超えて様々だった。
夏目の創作の泉はここにあったのかと感心する。
「かさばるものは実家に置いてきたんですが、それでも本が増えてしまって。整理が追いつかずにこんな状態です。ああ、よければこちらへおかけください」
立ったままの隆一に、夏目が座布団を差しだす。
「すみません」
差しだされた座布団に、隆一は少し緊張しながら収まった。
夏目は普段そこで書き物をしているのだろう、文机の上をさっと片付け、その前に座る。
「あ……先ほどは失礼しました。夏目先生がこんなにお若い方だとは思わず……」
改めて夏目と向き合い、隆一は謝罪の言葉を口にした。
けれど違うのかもしれない。夏目が若手だということは、瀧からも聞かされていた。門のところで見つめ合った時、目の前の青年が夏目本人だと思わなかったのは、単に隆一が思考停止していたからだ。
「若いと言っても僕はもう二十五です。友人の中には、学生時代から文壇で活躍している人間もいる。そう考えると僕は遅咲きの方かもしれない。そういう君は?」
親しげな笑みを浮かべ、夏目が聞いてくる。
「……え?」
「君の年を聞いているんです、だいぶ若そうに見えるけど」
「年……二十二です」
「なら、僕の方が三つ年上だ」
こちらを見る夏目の瞳が、さらにやわらかさを増した気がした。
けれど、どうしてだろう。その瞳に見つめられると頭が働かなくなる。緊張からか、背中に妙な汗までかいていた。
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