705人が本棚に入れています
本棚に追加
夏目が座卓越しに、隆一の着物を見る。道なき道を走ってきたせいで、そでや袴のすそが、土と草の汁で汚れていた。
「君のエネルギーが有り余っているのは知っているけれど、そうやって行ったり来たりするのも大変だろう。それに……」
夏目が目を上げ、まっすぐにこちらを見る。
「僕は君のことを、理屈抜きに愛おしいと思っているんだ」
その言葉に、胸を揺さぶられた――。
『理屈』の方は、昼間、診療所の医師から聞いて知っている。鋭と極はもともとひとつの生き物で、一緒になって初めて心身共に満たされる。
でも理屈抜きに愛しいなら、それはもう欲望ではなく愛なんだろう。
夏目の顔が見られなくなってしまい、隆一は皿の上に視線をさまよわせた。
そして唐突に切り出す。
「今朝、あの紙袋に書いてあった住所の診療所に行ったんです」
夏目が軽く息を呑む。
「そこで先生から話を聞きました」
夏目は少しの間こちらを見つめ、それからぽつりと言った。
「君が言っていた、言うべきことっていうのはそのことか……」
「そうですよ……。まだほかにも隠し事があるんですか?」
「さあ、もうないと思うけどね?」
夏目がちらりと歯を見せて笑う。
「けどあの先生も案外口が軽いんだな。……まあ、君に会えて機嫌がよかったんだろうな。あの人は君みたいなきれいな子が好きだから」
「なんですかそれ……。別に機嫌がよさそうには見えませんでしたけど」
「午前中に行って追い返されなかったなら、機嫌がよかったんだよ」
あの医師のことはよくわからないけれど、整った顔だと褒められたことを思い出した。
「それで、彼に何もされなかった?」
「それは何も……」
頬に触れられたり、背中をさすられたりしたことは、言わないでおくことにした。体を見せてくれとも言われたが、そんなことをここで打ち明ければ話がややこしくなる。
最初のコメントを投稿しよう!