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隆一は浅い息を吐き、ひざの上に置いた自分の手に目を落とした。緊張をほぐすように、手のひらを握ったり開いたりしてみる。でも結局、手にかいた汗を意識して不快になっただけだった。袴で乱暴に手のひらを拭き、また夏目を見た。
この人は何者なんだ? そんな疑念が湧く。
輝ける天才小説家、物腰やわらかな男前、そして生徒に慕われる英語教師……いや、それだけではないと思う。
彼の醸し出す圧倒的なオーラが、隆一を海にでも溺れているような気分にさせるのだ。あるいはまな板の上の鯉、蜘蛛の巣にかかった羽虫といったところか。夏目自身は特に大柄なわけでも、威圧的なわけでもないのに。
感じているのは、もっと本能的なところからくる恐れなのかもしれない。
「さっき瀧君から、君の絵のことを聞いたけれど……」
夏目の視線が、隆一の顔から風呂敷包みに移動する。
「そうでしたか。郷里を訪れていた洋画家の先生に油絵の基礎を教わり、それ以来独学で。絵で身を立てたいと思い、二カ月前に上京してきました」
「なら君の活躍は、これからというところかな? 実は僕も昔、画家に憧れたことがあったんだ。幼い憧れに過ぎなかったんだけどね」
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