第一章 鎌倉1

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 そう言いながら夏目は、ふと横に視線を向けた。  視線の先を追うと、文机の横に重ねられた原稿用紙に、河童の絵が描いてある。万年筆のインクの出を確かめただけ、そんな印象の絵だったが確かに絵心が感じられるものだった。  隆一が見ていると、夏目は笑ってそれを引っ込める。 「さすがに本業の人には見せられないね」  それからさらっと話題を変える。 「ああそうだ、小栗君は展覧会に出品したりは?」 「二科展に出品したことは。でも、入選は……未だ」  夏目は腕組みしてから、慰めるように言った。 「あれは大先生方が選ぶ賞だから。その道の大御所連中に気に入られるものと、世間に受け入れられるのとは違う」  隆一はハッとして、それから思わず身を乗り出す。 「それもあります。ですが芸術の価値は周りからの評価ではなく、作品そのものにあると思います」 「その通りだね」  夏目が間髪置かずに答えた。  そこで隆一は失敗したなと考える。持ってきた絵を見せる前に、自分で敷居を上げてしまった。  もちろん隆一も、この道で食べていこうと決めたからには自身の芸術に対する信頼はある。けれど夏目という天才を前にして、その自信は揺らいでいた。
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