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東海道本線から横須賀線に乗り換えてしばらく、途中の鎌倉駅で下車する。
鎌倉から江ノ島電鉄に乗り換えてもよかったが、電車の来る時間までややあったので、そこから散歩がてら歩いていくことになった。
とんがり屋根の時計塔を持つハイカラな駅舎を出ると、東京とは違った空気が体を包む。海風の運ぶ湿気が、街をやわらかく覆っていた。
まだ三月だというのに、駅舎から出た途端に汗ばんでくる。太陽が真上に近づき、白くあたたかな日差しが降り注いでいた。
鎌倉は幕府設立以来、古都として栄えていた街だが、明治二十二年の横須賀線開業以降は東京からほど近い保養地として発展している。
「海水浴は体にいいから、若いのも年寄りもみんなしたがる」
土産物屋の建ち並ぶ通りを歩きながら、瀧がそんな話をした。
「海水浴……おれは山の方から来たのでなじみがありません」
隆一がそう言うと、瀧が楽しげな笑みを浮かべた。
「海はいいぞ! 少し足を伸ばせば、由比ヶ浜の海水浴場が見えてくる。とはいえ海水浴にはまだ早すぎる季節だ。観光客のお目当ても、大仏か寺巡りだろうな」
そういわれて通りを見ると、連れだって歩く洋服姿の女たちや、外国人らしき人々の姿が目に留まる。そして通りも店の前も、とにかく人でごった返していた。
それから瀧に続き、人ごみをかき分けるようにして歩いていると、隆一は観光客らしき女性たちに道を聞かれた。
「あの、元八幡はどちらでしょうか?」
いかにも無害そうな風貌のせいか、隆一はよく人に道を聞かれる。
「この辺りのことはよくわからないですが、向こうに交番が……」
そんなふうに返すと、女性たちは口々にお礼を言って離れていった。
ほっとしてまた瀧を見る。ところが瀧は隆一が立ち止まったことに気づかず、先へ行ってしまっていた。
「瀧さん?」
どうも瀧は、人ごみで知り合いを見つけたらしい。遠くに向かって何やら声をかけ、ずんずんとそちらへ進んでいく。
「瀧さん、待ってください!」
慌てて追いかけたものの、隆一はすぐに瀧を見失ってしまった。
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