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「どうしよう……」
交差点で、行く先がわからず立ち尽くす。
外国人風の大男が肩にぶつかり、知らない言葉で何か言いながら去っていった。
とりあえずたばこ屋の軒先に身を寄せ、瀧が気づいて戻ってきてくれるのを待つ。ところがしばらく待っても、彼が探しに戻ってきてくれることはなかった。もしかしたら隆一を見つけきれず、諦めてしまったのかもしれない。
駅の改札まで戻れば、きっと帰りに瀧が見つけてくれるだろう。けれどそれでは遅すぎる。
隆一の手には、夏目に見せるはずの絵が握られていた。
途切れることのない人の波を眺め、腹をくくる。一人ででも、夏目龍之介に会いに行こう。悩んだ末、隆一はそう決意して歩きだした。
はぐれる前に瀧が、夏目の家は由比ヶ浜の海岸通りにあると言っていた。隆一はその辺りを訪ね歩き、夏目の住まいを知っているという海軍学校の生徒を見つけることができた。
「夏目先生は、あそこも住まわれておいでです」
若い海軍候補生は丁寧に、屋敷の側まで案内してくれる。
「ありがとうございます」
「いえ、お役に立ててよかったです。では僕は」
彼は軍人らしく敬礼をして去っていく。その日焼けした人懐っこい笑顔は、鎌倉の街の明るい空気によく合っている気がした。
静かな通りからさらに奥まったところにある、屋敷の門前まで歩いていく。
「すみません! こちらに夏目先生はいらっしゃいますか」
自らの緊張を打ち破るように、強く拳を握って門を叩いた。
少しして、書生風の男が木戸を開けにくる。
「そちら様は……」
男は少し警戒したように眉をひそめた。
「時事日報社の瀧さんの紹介で、洋画家の小栗隆一といいます」
まだそれでの収入もないのに洋画家を名乗るのには多少の抵抗があるか、ここでそう言わなければ話が通じない。
「瀧さんなら、つい今しがた行ってしまわれましたが」
男が隆一の肩越しに、通りの向こうを見た。
ついさっきここを出たなら、追いかければ瀧をつかまえられるかもしれない。そう思ったが、隆一は男に向き直る。
「夏目先生にお会いできますか?」
ここへ来た目的はそれなのだ。瀧には明日謝りに行くか、謝罪の手紙を出せばいい。
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