のろまなエレベーター

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 K氏は、人事部のオフィスを欠伸混じりに出た。目を落としたロレックスの黒い文字盤はそろそろ真夜中を迎えると彼に告げている。エレベーターホールに来ると、人の気配を感じて控え目な照明が点灯した。K氏は呼び出しボタンを押す。エレベーターは一階から、K氏のいる四十九階を目指している。  今日も骨の折れる仕事ばかりだった、とK氏は思う。惰弱な新入社員達を教育する日々は、やりがいもあるが虚しさもあった。就活サイトの自社広報ページで顔写真まで公開して「やる気のある若者を求めています」とコメントを寄せ、見込みのありそうな人間を雇っても、彼らはすぐにへこたれる。そんな精神ではいけない。人の為、会社の為、ひいては世の中の為に身を尽くしてこその仕事である、とK氏は理念を説き続けた。  それに共鳴して素晴らしい働きをする若者も少しはいたが、大抵は数カ月で会社を去ってしまう。K氏は若者達と面談し、考え直すよう熱心に忠告しても彼らの意思は変わらず、ただ青白い顔でこちらにうらめしい眼差しを向けてくるだけだった。K氏は彼らが退職する度に、エレベーターホールまで見送った。どうせ何処へ行こうと、あんな軟弱な人間は生きていかれないだろう、と心の中で嘆息した。  そして、K氏の崇高な理念に共鳴して頑張りを見せた若者も、いつしか出社して来なくなり、心配して家を訪ねると呆気なく死んでいたりする。丈夫で勤勉な人材を確保するのがK氏にとっては急務だった。  そんな事をつらつら考えていると、エレベーターの扉が開いた。昼間は誰かしらが乗っているが、今はK氏ひとりを乗せたきりだ。扉を閉めるボタンをK氏は押した。緩やかに扉が動いたが、ふいに何かにつっかえたように止まり、また開いた。自分が扉に近すぎる位置にいるのか、とK氏は一歩下がると、扉は今度こそ静かに閉まった。
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