第十一章 小学校占拠

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第十一章 小学校占拠

 「袖山明誠が死んだ?」  目黒での『面談』があった日から二日後、直斗は学校でルカにそう伝えると、ルカは怪訝そうな表情をみせた。  「ああ。今朝のニュースでそう報道されていたぞ」  当初、そのニュースを目にした時、直斗は目を疑った。昨日今日出会ったばかりの男である。まさか、突然、ニュースで目撃するとは思わなかった。ましてや、殺害されるなど。  ニュースでは、袖山明誠を殺害したのは、強盗の犯行が濃厚である説が示されていた。  事件の内容を知った直斗の脳裏に、ある可能性が湧き起こる。もしかすると、袖山は何らかの謀略によって、命を奪われたのではないのかと。  袖山明誠はどう考えても、堅気の男ではなかった。ニュースで報道されていたように、強盗の仕業などではなく、利害関係のある組織だとか、恨みを買っている債務者などから襲われ、死んだのではないかと推察した。  しかし、聞くところによると、袖山が殺された場所はセキュリティが厳重なマンションらしかった。債務者や、ただの一般人が、易々と侵入できる建物ではないのだ。  つまり、殺しの『プロ』の仕業か、あるいは、さらに人知を超える者の仕業である可能性も浮上してくる。  「まさか、渦中の男が、そんな目にあうとは」  ルカは、切れ長の目を丸くしていた。フランス人形のように長い睫毛が、何度か瞬かされる。  現在、二人がいる場所は、屋上へ続く階段の踊り場だった。階下からは、登校中の生徒たちの騒々しい声が聞こえてきていた。  直斗は、ルカに質問を行う。新たな『仮説』が首をもたげたあと、気になっていたこと。  「ルカ、お前何か知らないか?」  袖山が殺害されたのは、ルカに相談した直後である。もしかすると、こいつが何らかの形で関ったのかもしれないと考えるのは、あながち無理な推論ではないだろう。  あの時、ルカは「自分も対処する」と述べていた点も引っかかっている。  「僕がですか? 僕は特に何も関知していませんが……。袖山という男が殺されたのも、直斗さんから聞いてはじめて知りましたし」  ルカは、きょとんとした表情だ。寝耳に水といった風情である。  「知らないならいいけど……」  直斗は頭を掻きながら言った。ルカの関与は直斗のただの憶測なので、本人から否定されれば、信じざるを得ない。  もっとも、犯人が誰なのか判明したところで、特に意味はないだろうが。  とはいえ、袖山明誠の脅威が消え去ったのは事実である。直斗にとっては、歓迎すべき結果だろう。  「春香ちゃんのほうはいかがですか?」  ルカが、首をかしげながら訊いてくる。  「うーん、あまり状況は変わらないみたいだ」  遠月教諭への直談判が失敗に終わり、いじめへの対処が暗礁に乗り上げた結果、状況は好転をみせなかった。おそらく、即時的な解決を期待するのは難しいだろう。  そもそも、遠月との面談からほとんど日も経っていないので、大きな変化がないのは当然ではあるが。  だが、遠月教諭が袖山から弱みを握られていることは明白であるため、袖山が死んだことで、彼の心境に変化が訪れる可能性が期待できた。この先の進展に期待する他ないだろう。  「いざとなったら、その時こそ、親や教育委員会に相談するよ」  「それがいいかもしれませんね」  ルカは肯定する。  目下、妹のいじめ解決の件が最重要事項だが、他にも気がかりな点があった。  具体的な事象ではない。しかし、心の奥底で、大きな不安があるのだ。知らない内に広がっていく願細胞を体内に抱えているような、薄気味悪い感覚と、少しずつ破滅へと向かっているような恐怖感。  ルカにそのことを伝えると、ルカは怪訝な顔をみせた。  「袖山が死んだ以上、特に脅威はないと思いますが」  「そうだけど、不安が消えてくれないんだよ」  「前も同じようなこと言ってましたね。あなたの『血の力』でどうにかできないのですか? 精神不安を解消だとか」  直斗は、頭を振った。  「そこまで器用な真似はできないんだよ」  ルカは、自身の形の良い顎に手を当て、考える仕草を取る。  「ただの思い過ごしかもしれませんが、直斗さんの立場が立場なだけに、一笑に付すのも憚れますね。僕も少し調査をしてみます」  「頼む」  直斗は数少ない協力者に、頭を下げた。ルカに任せれば、何かわかるかもしれない。そんな予兆があった。  やがて、話が終わった二人は、踊り場を離れ、それぞれの教室へ戻った。自分の席に着くなり、チャイムが鳴る。  授業が始まり、時間が経つ。しかし、それでも、胸中に淀みのように溜まっている不安は、少しも解消されなかった。  立ち込める暗雲。不吉な予感。  今すぐにでも、悪い出来事が起きそうな感覚に直斗は襲われていた。  『DC会議』の参加者の一人である雨宮勇一は、自身が経営する銀行の頭取室にて、いくつかの書類を確認していた。  現在は昼過ぎ。昼食を済ませ、午後の業務に精を出す時間である。  雨宮は、手元の書類に目を通す。内容は、融資第一課が提出した融資金の稟議書である。  融資対象の企業は上等で、内容も一級の融資案件ではあるが、やや陰りが見えてきた会社でもある。このまま融資を行った場合、ややリスクが上回る恐れがあった。  雨宮は、フォーナインズの眼鏡を外し、目頭を揉みながら、その会社の社長の直近の姿を思い浮かべた。  経営者らしく、身なりの良い服装で、コミュニケーションも明朗快活だった。融資を受ける立場上、銀行に良い印象を残したい意図が見えたが、それは当然の振る舞いでもある。  しかし、いくつか気になる点があった。彼の腕時計である。少し前までは、誰もが知るブランドの高級腕時計を付けていたのだが、今は二線級の腕時計だった。融資を受けるのに、時計のランクを下げるのは致命的で、それすらも考慮に入らないとなると、相手方の経営は相当危うい可能性もあった。  雨宮は融資第一課に内線を掛け、担当に繋いだ。そして、融資先訪問を密にするよう指示を行う。  これで、案件先の化けの皮が剥がれるといいのだが。  雨宮は眼鏡を掛け直し、眼前の端末に目を向けた。画面には、融資資金のポータル画面が表示されてある。  資金の融資先は『株式会社南開警備』。DC会議のメンバーでもあり、今回の『ミッション』のパートナーでもある李天祐が経営する会社だ。  もっとも、警備会社とは名ばかりで、実質はチンピラや反社、果ては札付きの犯罪者を斡旋する傭兵業の会社だが。  雨宮はポータル画面を操作し、外国の銀行にて開設されてある『南開警備』の口座へ、予め話し合って決めた額の資金を送金した。それから、ポータル画面を閉じる。  雨宮は、息を一つ吐き、手を顔の前で組む。そして、瞑想するようにして、目を閉じて全神経を集中させた。  つい今しがた、送金した『資金』の流れが、シュミレーションとして、脳内を駆け巡る。金は秘密保持が強いスイス銀行を経て、『南開警備』の手に渡り、それらは『従業員』の武器や報酬へと分散されていく。  『従業員』は、どう見ても堅気には見えない連中ばかりだ。中には、異形の者、異世界人もいる。  そして資金は『上海幇』や『新義安』といったチャイニーズ・マフィアにも渡り、彼らも『南開警備』へと馳せ参じてくる。  やがて、アサインされたメンバーを率い、武器を手にした彼らは、とある場所へ襲撃を行う――。  脳内の『仮定』が、まるで実際に起こった現象のように、映像として流れる。正確率が百パーセントに近い、未来予想。  これが雨雨宮勇一の『才能』だった。金の流れが必ず必要だが、それを起点に、精密かつ高度な未来予測を行うことができる。  雨宮はさらに能力を展開させていく。  『その場所』を襲撃したアウトローたちは、見事、建物ごと占拠することに成功させる。床が血に染まっており、犠牲者もそれなりに出ていることを示していた。  そして、襲撃者たちは、一人の人物へ狙いを定めていく――。  そこで、雨宮の眉根が寄った。レートの良い動画のように、スムーズに流れていたシミュレーション映像が、ふいに暗転、ブラックアウトしたのだ。まるでもうそれ以上、処理が追いつかなくて、限界を迎えたパソコンのように、動画が停止されたのだった。  雨宮は再度、映像を再生させる。しかし、何度やっても、必ず同じ位置で『未来予知』は途切れてしまっていた。  一体、どういうことなのだろう。こんなのは初めてだった。  雨宮が原因を特定するため、『未来予知』映像の詳細を精査しようとしたところで、懐に入れていたスマートフォンが、着信音を告げる。  雨宮は舌打ちをし、目を開けた。そして、スーツの内ポケットからスマートフォンを取り出す。  相手は李天祐からだった。  「もしもし」  雨宮が応じると、受話口から李天祐の低い声が聞こえてくる。  「送金を確認した。これより早急に『計画』へと行動を移す」  「わかった」  とうとう動き出す、強大な『力』を得るための計画。大きな野望への第一歩。  雨宮は、自身の心臓が、期待でわずかばかり高鳴ったことを自覚した。  その時、ふと気づいたように、李天祐が尋ねてくる。  「そういえば、『未来予測』はしたのか?」  李の質問に、雨宮は逡巡する。完全無欠のはずの自分の『才能』に、ちょっとした異変が生じてしまったことを告げるべきか否か、判断に迷った。  少し考えたのち、雨宮は答える。  「まだ全てを再生はしていないが、確認できた範囲では、問題なく事は推移していたよ」  「そうか。ならば、やはり決行しても差し支えないな」  李天祐は納得したように言う。おそらく、雨宮に対する能力の確認は、あくまで補足に過ぎず、元より、よほどの障害がない限り実行する腹積もりなのだろう。  それだけの『価値』が、この計画にはあるのだから。  そのあと、いくつか打ち合わせを行い、雨宮は電話を切った。  雨宮は本来の業務に戻る。しかし、銀行業務をこなしながらも、『未来予測』での障害のことが、残り香のように頭へとこびり付いおり、中々集中できなかった。  結局、その日はずっと、胸中に到来したわずかばかりの不安が、一切解消されることはなかった。  数日後、雨宮は日中、客先への訪問を理由に、銀行を外出した。目指す先は五反田。雨宮の経営する銀行は、赤坂にあるため、車で二十分ほどかかる計算だ。  雨宮は、頭取用の駐車スペースに止めてある愛車のジャガーFタイプR75に乗り込む。  イグニッションキーを回すと、スーパーチャージャーV8エンジンのエキゾチックな音が場内へと響き渡る。  己を鼓舞させるような、万雷の拍手のごときエキゾースト音を聞くと、雨宮の心が沸き立った。感情の奥底にある不安が払拭され、この先、待ち受けるのは、確実な『勝利』ではないのかと、そう思わせた。  雨宮は車を発進させ、国道413号線へと出る。そしてそのまま赤坂通りを北へ向かう。  目指す先は、千代田区だ。そこにあるビルで、李天祐と待ち合わせをしていた。  『計画』が本格的に動き出したことに対する、最終確認が目的である。  山王下の交差点を左折し、多くの車と共に見附駅前の通りを直進する。そして青山通りへと入った。  すぐに首都高下の信号にぶつかり、赤信号で停止する。雨宮はアイドリングをさせながら、R75の運転席から見える歩道を眺めた。  平日の昼間にもかかわらず、大勢の人間が行き交っている。つい去年、異世界からの侵略があり、滅亡の危機に瀕した事実など忘れたかのような、天下泰平の光景だ。  日に照らされた薄っぺらな世界に目を向けたまま、雨宮は、先日体験した自身の『才能』の障害を改めて考察する。  一体、あれは何だったのだろうか。『未来予知』の再生が途切れるなんて今まであり得なかった。まるで何者かにインターラプトされたかのような、気味の悪い現象。  あのあとも、何度かリピートさせてみたが、結果は同じだった。  雨宮はふと思う。もしかすると、自身は何かとんでもない間違いを犯しているのではないのかと。  銀行業界の世界おいて、一つの鉄則がある。それは企業に融資を行う際、企業が戦略的な決済対策を取っているかどうかを見極める点だ。  企業は融資を受けるのだから、自分の会社を良く見せたいと思うのは必然。そのため、粉飾などを行うのは常である。  そこを看過し、その企業が有効な返済計画を持っているのかどうかを判断する必要が出てくる。言い換えれば、少しでも瑕疵があれば、融資計画を中断するのは当たり前の措置なのだ。  今回の『予知』において、想像外の躓きが発生している。瑕疵がある以上、計画を取り止めるべきなのかもしれない。  そのような懸念が頭をかすめる。  しかし、明確な否定基準がないのも事実であった。順調に推移していた予測が、途中で閲覧できなくなっただけ。李天祐との打ち合わせでは、滞りなく遂行できる『計画』であった。  考えすぎなのかもしれない。しかし、憂慮するべき内容とも言える。  それか、あるいは……。  その時、後方からクラクションがけたたましく鳴らされた。  雨宮ははっとして、我に返る。どうやらかなりの時間トリップしていたらしく、いつの間にか青信号に切り変わっていたようだ。  雨宮はアクセルを踏み込むと、勢いよくR75を発進させた。爆発したようなエンジン音と共に、一気に加速し、クラクションを鳴らした安い車を、あっという間に後方へと置き去りにした。  千代田区にある目的のビルに到着し、地下の駐車場にR75を乗り入れたあと、少し進んだところで、雨宮は『それ』を確認し、ぎょっとする。  大型商業施設のように広い駐車場に、大勢の群衆がいたのだ。群衆のみならず、ハマーなどの大型車も複数台、駐車場の奥に駐車されてあることが確認できた。  雨宮は、かろうじて空いているスペースに車を停め、R75から下りる。  すぐに李天祐が近づいてきた。彼は雨宮の愛車を把握しているため、場内に進入した時点で、こちらの到着に気がついていたようだ。  「早かったな」  「飛ばしてきたんでね。……で、こいつらが例の連中か」  スーパーの特売日の開店を待つ客のように、周囲でたむろしている大勢の人間たちを、雨宮は顎でしゃくった。  「そうだ。彼らが今回の『計画』の実行役だ」  李天祐の誇らしげな声を聞き、雨宮は改めて駐車場内にいる人影たちを見渡した。  アジア系から、黒人、白人など、様々な人種の人間が集まっている。その誰もが、堅気には見えない様相の者ばかりだ。皆は、自身満面に、銃や刃物などの武器を手にしていた。まるで暴徒のように。  その数、およそ二百人ほどか。  そして――。  雨宮は、人だかりの一角へと視線を移す。  そこには、堅気どころか『人類』ですらない存在が複数いた。  全身が毛むくじゃらな熊のような人型の生き物や、二足歩行の爬虫類のような生き物など、バリエーション豊かな奇妙な姿をした生命体が盛り沢山であった。  異世界人である。  その数は全体の三分の一ほど。雨宮にとっては、直接異世界人を目にするのは初めてであった。  「よく集めたな」  雨宮は素直に感嘆する。これほどの『戦力』をかき集めるとは、裏社会に通じている李天祐ならではの所業である。  自身の『警備会社』だけではなく、『上海幇』や『新義安』などの中国マフィアすらも引き入れるその手腕は、相当なものだ。  それだけ『DC会議』のリーダーである中島が語った『計画』に力を入れる覚悟を持っている証でもあろう。  それに……。  アウトローや、マフィアたちを前にし、雨宮は確証を得ていた。今のこの光景は自分の『才能』を経て、一度目にしたものである。つまり予測どおり『計画』は順調に推移することの表れでもあった。  いける、はずだ。俺の『予知』は間違いがない。例のちょっとした『不備』。それは無視していい。それ以外はほぼ全て、上手くいく算段だったじゃないか。  雨宮は、自分にそう言い聞かせた。  「決行は予定通り、明後日だ」  李天祐は意気揚々と宣伝する。こいつもこいつで、勝利を確信しているらしい。  李天祐は、続けて言う。  「予め打ち合わせしたように、我々は不測の事態が起きない限り、外野で観戦だ」  雨宮はフォーナインズの眼鏡を上げながら、首肯した。  「わかっている」  矢面に立つのは、『傭兵』や『兵隊』たちだけでいい。これは、戦場において当然の鉄則である。映画や漫画のご都合主義じゃないのだから、わざわざ指揮官や出資者が敵前に姿を見せる必要性は皆無なのだ。  「では、明後日、作戦決行とする」  李天祐は、周りにいる兵隊たちに対し、高らかな声で、そう宣言した。  すると、駐車場内に、兵隊たちの関の声が響き渡る。びりびりと、空気が震えているのが伝わってきた。  これから兵隊たちは、このビルで明後日まで待機し、やがて決行日当日、駐車場の奥に停めてある車両に乗り込み、目的の場所を目指すのだ。  春日小学校に。  雨宮は腕を組み、兵隊たちを眺める。  自分が見た『未来予知』では、こいつらからは、犠牲者はほとんど出ていなかった。しかし、血は大量に流れていた。つまり、明後日、この兵隊たちは本当に人殺しを行うのだ。おそらく残虐に、戦争のように。  間違いなく、大きなニュースとなって世界に流れるだろう。  そして、それこそがこの『計画』の目的なのだ。  雨宮は、眼鏡を掛け直すと、微かに頬を緩めた。  「ねえ、あの話どうなった?」  朝、学校へ登校し、自分の席に着くなり、直斗は神埼志保から声をかけられた。  「あの話?」  直斗はきょとんとする。あの話とは何だろう。覚えがないが。  直斗の間抜けな反応に、志保は咎めるような顔で、首を捻った。  「忘れたの? ほら、春香ちゃんのこと」  志保は、声を潜めるようにして言う。  直斗ははっとした。もちろん、春香の身に降りかかっているいじめについては片時も忘れたことはないが、志保に相談したことは忘れていた。  「あ、ああ。そういや相談していたね。いまだに解決していないよ」  「あたしに相談したこと忘れるくらいなら、そりゃ無理でしょ」  志保は頬を膨らませる。少し不機嫌になったようだ。  「ごめんってば。……えっと、色々難しいことがあって、解決が遠のいたんだ」  「難しいことって?」  志保は真顔になり、訊いてくる。  直斗は、袖山のことについては言及せず、担任教諭がいじめの対応に消極的である旨を伝えた。  「なにそれ。最低な教師。いずれ天罰落ちるよ」  志保は、自分のことのように憤慨した。志保は志保なりに、本気で春香のことを心配してくれていたらしい。  直斗は、自分が志保に相談した事実を忘れていたことを恥じた。  「これ以上ひどくなるようだったら、できるだけ早めに、親や教育委員会に相談するつもりだよ」  「そうだね。そのほうがいいかもね」  志保は、得心したように頷いた。そして、二、三言葉を交わすと、志保は直斗の 元を離れていった。  やがて、俊一や裕也も登校してきて、始業までの朝の雑談が始まった。いつも通りの、何ともない光景。  戸口近くでは、先ほど会話をしていた志保が、友人たちと楽しそうに笑っており、隅のほうでは、木場建治が自分の席で一人、本を読んでいた。さすがに懲りたのか、魔法の指輪は披露しておらず、現在は閑古鳥である。  生徒たちの青草のような瑞々しさと、爽やかさに包まれた空間。慣れ親しんだ世界だ。  現在、自分はその安寧の空間にいる。境遇こそは人類の中でイレギュラーだが、客観的に見れば、一般的なただの男子高校生である。  だが、いつまでその立場で入られるのか。世界を救い、異世界人から命を狙われる身分となった自分。俗に言う『ロビン・フッド』が。  俊一たちと談笑しながら、直斗は一抹の不安を払拭できないでいた。  午後になり、いつもの三人で弁当を食べたあと、直斗は、俊一たちとスマホゲームに興じていた。  その最中、志保が話しかけてきた。  「ねえねえ、篠崎君。妹の春香ちゃんが通っている小学校って、確か春日小学校だったよね?」  「え? なんだって?」  ちょうど俊一や裕也と共に、高難易度の限定イベントを攻略している途中だった。そのため、直斗は生返事で答える。今はクラスの女子と関っている場合ではないのだ。  志保は、直斗のあしらい方に不満を覚えたようだが、それでも引き下がらないつもりらしい。少し突っ込んだような勢いで、こちらの肩を叩く。  「聞いてよ。春日小学校が今、大変なことになっているんだって」  そこで初めて、直斗は顔を上げた。眼前に、血相を変えた志保の顔が見える。手には、スマートフォンを握り締めていた。  「なんだよ」  直斗は言う。一体、どうしたのか。こっちは暇じゃないのに。しかし、よほどのことらしい。  志保の行動に、それまで一緒にスマホゲームに興じていた裕也と俊一も、顔を上げて、不思議そうな顔で、こちらを注視していた。  「なんだよ、じゃないってば。だから、春日小学校が大変なんだって」  志保は、手に持ったスマートフォンの画面を、印籠のように持ち上げて、こちらへ向けた。  志保のスマートフォンの画面には、映像が表示されていた。どこかの街並みを上空から俯瞰している光景。どうやらヘリコプターからの空撮映像らしかった。  おそらく、ネット配信されているニュース番組なのだろう。メインの被写体は、中央に映っている大きな建物のようだ。運動場が併殺されていることから、学校だとわかる。どうやら、志保の言葉通り、これは春日小学校らしい。  音声は流れてなかったが、どこか物々しい雰囲気は伝わってくる。少しずつ、心臓の鼓動が大きくなっていくのを直斗は実感した。  直後、画面にテロップが表示される。それを読んだ直斗は、脳天を殴られたような衝撃を受けた。  テロップには、こう書かれてあったのだ。  『木更津の春日小学校で立てこもり事件発生。負傷者多数。犯人は複数の模様』  「そんな……」  直斗は思わず絶句し、志保のスマートフォンを掴んだ。春日小学校は、妹の春香が通う学校だ。春香はいじめられているとはいえ、ちゃんと毎日登校している。当然、今の時間は、学校にいる。  「ついさっき、ツイッターで流れてきたんだ」  志保は、気を遣うように言う。直斗の反応を見た裕也たちも、何事かとスマートフォンを覗き込み、同様に絶句した。  直斗は呆然と呟く。  「立てこもりって、どうして……。負傷者多数って……」  妹は、春香は無事なのか? 一体、なぜこんなことが。  眩暈がしたところで、机の上に置いたスマートフォンが、鳴動した。反射的に画面を確認すると、母の蛍子からだった。  急いでスマートフォンを手に取り、通話に出る。  「もしもし」  「直斗、えっとね春香ちゃんが通う学校で大変なことが起きてて……」  蛍子の逼迫した声が耳を貫く。相当動揺しているようで、言葉の節々が上擦っていた。  「知ってる。立てこもりがあったとか。春香は無事なの?」  「それがわからないの。警察から連絡がきて、これから市の市民体育館で説明会があるみたい。そこにお父さんと一緒に行くわ」  父の辰三も、会社を早退して状況把握に動くようだ。  「俺はどうすればいい?」  「そのまま学校にいていいわ。あなたがきても何も変わらないし」  ひどい言い草に聞こえるが、真っ当な意見だと思う。こっちは表向き、ただの男子高校生なのだから。  「わかった。何かわかったら教えて」  直斗はそう言い、通話を切る。同時に、裕也が声を上げた。  「何か進展あったみたいだぞ」  裕也は、いまだ掲げられている志保のスマートフォンを指差した。画面では、テロップが切り替わっている。  志保はスマートフォンを弄り、音声をオンにした。  同時に、アナウンサーの仰々しい声が聞こえてくる。  アナウンサーはこう言っていた。  「犯人の一味と思われる人物から、犯行声明が出されました。内容は一年前、イタリアのアレーナ・ディ・ヴェローナで活躍した『ロビン・フッド』の引渡しだということです。『ロビン・フッド』が自ら現れ、正体を明かさなければ、生徒を一人一人殺していくとの声明です」
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