第十二章 罠

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第十二章 罠

 小学校で教鞭を取る遠月安信は、ここ直近、自身の身に起こった出来事を鑑みて、いかに幸運に恵まれているか実感していた。  ギャンブルにはまり込み、依存症となったせいで膨らんだ借金。その返済のために、債権者である消費者金融の社長から、時折、下僕のように扱われる屈辱。自分はなんて不幸なんだと嘆き悲しんだ。  しかし、とある朗報が舞い込み、状況は一変した。その朗報とは、自分をこき使っていた消費者金融の社長が、何者かに殺されたというものだった。  遠月は禿頭を光らせ、狂喜乱舞した。下手人がどこの誰かは知らないが、よくやってくれたものだ。あの性悪のことだから、方々から恨みをかっていたに違いない。  このまま運よく推移すれば、その消費者金融会社は倒産する可能性があった。もしかすると、自身の借金が帳消しになる希望さえ見えてくる。そうでなくても、厄介な『主』がいなくなったのだ。今までは脅されて難しかった任意整理や、自己破産すらも可能となる。  遠月にとっては、死地から逃げおおせたも同然だった。  気持ちに余裕が出てくれば、金銭面でも余裕が生じた気分になる。遠月は、最近控えていたギャンブルを行うようになった。  行きつけのパチンコ屋に再び通う日々。そして、不思議なことに、そういう時はちゃんと人間は勝てるものなのだ。  これが、俗に言う『引き寄せの法則』というやつかもしれない。  遠月は、自身の人生が好転し始めたことを理解する。俺は今から幸せを掴むんだ。必ず浮かび上がってやる。  強い希望と、充足感を抱いたまま、遠月は自身が勤める学校へと通勤を行った。  朝礼と準備を終え、遠月は自身が担当する五年三組の教室へと入った。  すでにチャイムが鳴っていたので、およその生徒たちは、お喋りはしているものの、席に着いて待っていた。明るくて元気な見慣れた風景。  しかし、その中で少しだけ、日当たりの悪い部屋のように、くすんで見える一角があった。  篠崎春香の席である。彼女は本を読んでいた。最近になって、読み始めた図書室の児童書だろう。  いまだ、篠崎春香に対するいじめは継続しているようだった。殴る蹴るなどの暴行こそはないが、無視は依然、行われていることが、彼女の行動から読み取れる。  もっとも、だからといって、担任教諭の遠月は特に問題解決に乗り出すつもりはなかった。そもそも、いじめを誘発させたのは自分であったし、それを指示した袖山が死んだ以上、もう沈静化するのを待つしか方法はなかった。  下手に助けると、かえって薮蛇になり、今度はこちらの立場が危うくなるのだ。篠崎春香には悪いが、現状、今の立場で耐えてもらおうと思う。  教壇に立ち、朝の挨拶を行いながら、遠月は、少し前に相談した春香の兄と名乗る男子生徒のことについて考えていた。  彼はあのあと、どうしたのだろう。妹を救うために随分と熱心だったが、何か対策を講じたのか。たとえば、教育委員会に訴えるとか、親に報告するとか。  彼に示した態度の通り、こちらとしては波風をあまり立てて欲しくはなかった。だが、現状、何も起きていないのならば、篠崎直斗は、特にアクションを取らなかったと見ていいかもしれない。  いずれにしろ、遠月が成すことは自己保身のみなので、やることは決まっているが。  やがて、遠月は、そのまま自身が担当する科目である国語の授業に入る。  ある程度授業を進めたところで、遠月は、チョークを持つ手をぴたりと止めた。遠くから何か『騒音』が聞こえたためだ。車同士が衝突する事故のような、大きな音が。  何人かの生徒たちも、窓の外を眺めていることから、遠月の聞き間違いではなさそうだった。  そしてその直後、さらにもっと近く、校舎の内部と思しき場所から轟音が聞こえてきた。同時衝撃。強風に煽られた車のように、校舎が一揺れする。  生徒たちの中から、悲鳴が上がった。  「地震!」  生徒の一人が叫ぶが、これが地震などではないことが、遠月には理解できた。もっとおぞましい、悲劇を呼び起こすような胎動。  遠月は慌てて教室の戸口へ駆け寄り、扉を開けて、廊下に出た。  すでに、隣のクラスの若い女性教諭が外に出ており、おろおろと困惑したような様子で、右往左往していた。  「高田先生」  遠月が声をかけると、高田教諭ははっと振り向いた。  「遠月先生。先ほどの音はなんでしょう?」  「……わかりません。私にも」  「ガス爆発とか?」  おそらく、ガス爆発の類でもないだろう。かといって、じゃあ一体、何なのかというのもわからないのだが。  すると、再び大きな音。炸裂音に似た爆音だ。地鳴りと共に校舎が揺れ、高田教諭が小さく悲鳴を上げた。  遠月は戦慄する。これは、本当になんなんだ? 何が起きている?  遠月が職員室へ走ろうとした時、階下から悲鳴が複数聞こえた。大勢の人間が、恐慌に駆られるような声。災害時の実況映像でも、同じような音声を聞いたことがある。  なんだろうと、遠月が硬直していると、複数の人間が階段を駆け上がってくる音が聞こえてきた。  廊下に姿を現した『それ』を見て、遠月は目を見開く。  『それ』は、人の形をしていた。迷彩服のようなものも着ている。しかし、明らかに『人間』ではなかった。  全身毛むくじゃらで、顔は熊そのもの。獣がそのまま人間になったような風体だ。『熊』だけではなく『犬』や『ゴリラ』のような様相の者もいた。  眼前の者たちの腕には、銃らしきものが抱えてあり、そして、顔の側面には、アメリカの警察が装備しているような、小型カメラが付けられていた。  人ではない彼らを目の前にし、遠月はすぐに悟る。  この者たちは『異世界人』なのだと。テレビやネットでは割と目にするようになったが、実物を目にするのは初めてであった。  そしてこの異世界人たちが、先ほどの『騒乱』の主原因だということは明白だった。隣の高田教諭は、唖然と固まったままだ。  異世界人たちは、廊下にいる遠月たちに気づくと、手元の銃を構えながら、駆け寄ってくる。特殊隊員のクリアリングのように、洗練された動きだった。  「五年生の教室はこの近辺か?」  先頭にいる熊のような異世界人が、流暢な日本語で質問してくる。  「あ、ああそうだけど……」  遠月は茫然と答えた。なんて上手な日本語だろうと、場違いな感想が脳裏をよぎる。相当な異常事態が発生しているはずだが、道端で外国人に声をかけられた時と気分が変わらなかった。  遠月はぼんやりと思う。『道案内』が終わったあと、彼らはそのままどこかへ行き、自分はここに放置されるだと。つまり、自分は何もされず見逃されるのだと思った。  しかし――。  「わかった。ありがとう」  熊の異世界人は、礼を言うと、手に持った漆黒の銃をこちらに向けた。  疑問に思う間もなく、遠月の視界が真っ白に染まった。  最初の発砲音を嚆矢に、校舎の至る所で悲鳴と銃声が響き渡った。  五年二組の教室にいた苅田理衣は、学校自体が、尋常ならざる状況に陥ってしまったことを悟り、戦慄していた。  教室にいる他の生徒たちも、パニック寸前だった。担任教師である遠月安信教諭は先ほど教室を出て行き、戻ってこない。残された生徒たちは右往左往するのみだった。  しかし、さながら戦場のような外の状況を前に、誰も教室を出ようとはしていなかった。  理衣は、不安で高鳴る動悸を抑えながら、教室の隅のほうの様子をうかがった。そこには、自分の席に座っている三つ編みの女子の姿があった。  篠崎春香である。  友達である春香は、どこか心ここにあらずといった風情で、周りを見回していた。他のクラスメイトたちと比べれば、恐怖心は少ないように見えた。  春香はいまだ無視のいじめにあっているため、今の状況下だろうと、誰とも会話をしていないようだった。あまり怖がっていないとはいえ、かわいそうである。  理衣は春香に話しかけようと思い、立ち上がりかける。その時だった。  おもむろに教室の引き戸が開いた。てっきり先生が戻ってきたのかと思った。しかし、違っていた。  入ってきたのは人間ではなかった。熊のような風体の、毛むくじゃらな生物。自衛隊のような迷彩服を着ており、手には銃器らしきものを持っている。そして側頭部には、カメラのような装置が取り付けてあった。  氷のような冷たい恐怖が、理衣の背中を疾風のように駆け抜けた。この生物は危険だ。理衣の直感が告げている。野生動物を前にしたような恐ろしさがあった。この人たちは、間違いなく、私たちに危害を加えるだろう。  熊のような生物が現れた直後、一瞬だけ、教室内は静まり返ったが、すぐさま騒乱の様相を呈した。当然だ。得体の知れない生物が目の前に現れたのだから。  すると、その熊のような生物は大声を放った。獣が唸るような、低い胴間声だ。  「これからお前たちには人質になってもらう。教室を移動するから、皆一緒になって俺についてこい!」  理衣は、本当の悪夢がこれから始まることを悟った。  テレビニュースで、春日小学校を占拠している犯人の犯行声明文が発表されてから、直斗の周囲の話題はそのことで持ちきりだった。  直斗の周囲だけではない。ネットでも同様だった。SNSや掲示板でも、『ロビン・フッド』について様々な憶測や推察が流れていた。まるで、一年前に戻ったかのような有様である。  それもそのはず。とうとう世界を救った英雄の正体が、白日の下に晒される可能性が出てきたのだ。  「ロビン・フッドって、一年前、世界を救った謎の人物だろ? どうしてテロリストから名指しされるんだよ」  前の休み時間、志保のスマートフォンで一緒にニュースを観た裕也が、疑義を呈する。裕也は腕を組んでおり、スポーツマン特有の引き締まった腕が強調されていた。  「さあ。賞金目当てとかじゃない?」  俊一が首を捻る。マッシュルームカットの髪が微かに揺れた。  「でもこれで、もしかすると、ロビン・フッドの正体が判明するかもな」  俊一の細い目が、爛々と輝いていた。好奇心がむき出しの様子だ。俊一は『ロビン・フッド』の正体に興味津々らしい。  「世界中の人間が気になってたもんな。異世界人たちも」  裕也も同じように、興奮気味だ。こいつもこいつで、『ロビン・フッド』の正体判明に対し、大きな関心があるようだ。  「でも、わざわざ日本の学校で犯行声明を出すってことは、ロビン・フッドって日本人だってことかな?」  俊一が、こちらを見ながら訊く。ずっと無言のままの直斗を気にかけたのだろう。妹の学校が占拠され、気落ちしているはずの友人を心配しているのだ。  「あ、ああ、どうだろうね」  直斗は口ごもる。『ロビン・フッド』という自身の正体に対する話題と、犯行声明に対する動揺で、直斗は上手く言葉を発せられずにいた。  これはとんでもないことになったと思う。直斗の頭の中で、赤い警告灯が明滅していた。  妹の学校がテロリストに占拠された点だけでも、非常に心がさざ波立っているのに、その犯行グループから、まさかの『ロビン・フッド』の正体の露呈及び、身柄の引渡しの要求である。  まるで悪夢を見ているかのようだった。  先ほど、ネットニュースを確認した限りでは、さっそく管轄である木更津警察署に対策本部が設置されたらしい。このまま警察の手により、事件が解決されるのが望ましいが、そう上手くいくのだろうか。  犯行グループの目的はわからない。裕也たちが言及したように、賞金目当ての可能性もある。しかし、こうなったら、自分が姿を隠して出張っていくしかないかもしれない。  人質を取られていようと、自分の『血』の能力を使えば、復活はさせられる。もちろん、時間制限や限度はあるが、黒獅子傭兵団の時のように、犠牲者は最小限に抑えられるだろう。  今日、学校が終わったら、すぐにでも春日小学校に赴いて、犯人一味を一掃するのだ。そうすれば、妹は助かるはず。  直斗がそう決心した時、離れた所で友人たちと話をしていた志保が、こちらに寄ってきた。  「ねえ、春日小学校を占拠していたテロリストの新しい情報が、ニュースで公開されたよ」  三人は、同時に志保の顔を見る。志保は愛用のスマートフォンを手に、神妙な面持ちだった。直斗に気を遣っているのだろう。  「マジ? どんなの?」  俊一が尋ねる。  「犯人たちは皆、軍服みたいな服を着ていて、銃を持っているみたい。それに、CCDカメラのような装置を顔に付けてるんだって」  「CCDカメラ?」  直斗は怪訝に思って、志保に訊く。何だか嫌な予感がした。  「うん。アメリカの特殊部隊が装備しているような小型カメラを付けてるんだって」  「なんだよそりゃ。何のために?」  裕也が、奇異そうに声を上げる。  「私だって理由はわかんないよ。ただネットニュースでそう流れてきただけ……って、直ちん、大丈夫?」  志保はこちらを見ながら、目を丸くしていた。  「え? ああ」  声をかけられ、直斗ははっとする。先ほどの志保がもたらした新情報のせいで、心が大きく揺さぶられていた。  「顔色が悪いよ」  志保が気にかけるような口調で言う。裕也と俊一も、こちらを凝視している。  志保が伝えてきたCCDカメラの件は、直斗に少なからず衝撃を与えていた。自分でもわからないほどに、顔が青ざめていたようだ。  ――敵は小型のボディカメラらしきものをを装備している。  これの意味するところは、直斗の襲撃が無効化される点だ。こちらは何としても正体を隠匿したい存在である。もしも素顔がカメラに映りでもしたら、即アウトの可能性が出てくる。  おそらく、用意しているのはボディカメラだけではないだろう。ここまでやるのなら、監視カメラや隠しカメラも備えられていると見るべきだ。  それらを元に、少しのヒントでも相手に渡せば、それが致命傷に繋がる恐れがある。アレーナ・ディ・ヴェローナの時もいくつものカメラに囲まれていたが、今回はまるで蛍光が違う。いまだ目的は不明なものの、何せ敵は、『ロビン・フッド』の正体を白日の下に晒そうとしているのだから。  ピンポイントで、妹の学校が占拠された点も含め、犯人の要求とカメラの存在を鑑みると、もしかすると敵は……。  絶望的な状況を前に、直斗は天を仰ぎたくなった。心がやすりで削られていっているような、歯噛みしたい苦悩が生まれている。  一体、どうすればいい? このままだと妹の命が危うい。しかし、直斗が動いても、それはそれで危険なのだ。直斗の正体が発覚すれば、家族の人生すら崩壊させてしまうだろう。  直斗は頭を抱えそうになった。  「直斗、元気出せよ。きっと警察がどうにかしてくれるさ」  裕也が励ますように、直斗の肩を叩く。冗談じゃない。警察なんて当てになるか。  直斗は必死に否定したくなった。だが、声が出なかった。直斗は口をつぐむ。  そこで志保が提案を行った。  「もしかしたら、ルカ君なら何かいいアイディア持っているかもしれないよ」  直斗ははっとした。そうだ。俺には協力者がいる。事情を知る数少ない味方が。  ここは、ルカに意見を聞いてみたほうがいいだろう。異世界人の彼なら、志保が言うように、何かしら解決策を提案してくれるかもしれない。  直斗は心に決めた。  放課後、直斗はルカを呼び出した。そして、体育館倉庫の裏にて落ち合ったのだ。  運動場のほうからは、部活に勤しむ生徒たちの歓声がここまで聞こえてくる。同時に、体育館の中では、バスケットボールが床を打つ音も響いていた。  ここだけ切り取ると、何の変哲もない日常であった。妹がいる学校がテロリストに占拠されたとか、世界や異世界を敵に回すといった、常軌を逸した境遇とはまるで無縁の世界。  その狭間に直斗は立っていた。目の前には、これまた常軌ではない異世界人の人間がいる。  ルカは、直斗の話を一通り聞いたのち、顎に手を当てた。  「僕もネットのニュースで事件のことを知り、気にしていましたが、まさかここまで深刻だとは……」  「にっちもさっちもいかなくて、困り果ててたんだ」  直斗はため息混じりに呟く。ルカは真剣な顔付きで首肯した。  「相手が『ロビン・フッド』の証拠を得ようと画策しているのなら、襲撃するわけにはいきませんもんね。カメラの件は、こちらにとって、大変不都合な事実です」  ルカは続ける。  「それらを元に推察すると、おそらく、相手は『ロビン・フッド』が襲撃すること自体を望んでいるのだと思われます」  直斗は頷く。  「俺もそう思う。だからもう取れる方法がなくて……。なにかいい案ないか?」  直斗はルカに対し、切実に訴える。ルカは腕を組んだ。  「そうですね……」  ルカは眉根を寄せ、しばし、思案する仕草を取った。  それから言う。  「色々と気になる点があります。案を出すにはそれらを解消してからですね」  「気になる点?」  「はい。ます第一に、なぜテロリスト側は春日小学校を狙ったのか」  その点は、直斗にとっても非常に気がかりな部分だった。  ルカは続ける。  「『ロビン・フッド』の妹が通う小学校を『ロビン・フッド』の正体を探ろうとする者たちが占拠する。この道筋は、一つの事実を示しています」  「わかっている」  誰でもわかる理屈である。すなわち、それは……。  ルカは言った。  「あなたの正体を掴んでいる存在がいるということです」  自明の理だった。まさか妹の学校が狙われたのは、ただの偶然ではあるまい。つまり、敵は直斗の正体及び、家族関係まで把握しているのだ、  そう、すでに『ロビン・フッド』の正体は知られてしまっていいるということである。  この致命的な事実に対し、自分はどう立ち向かえばいいのだろう。直斗は崖の端に立っている気分に陥った。  しかし、ルカの意見は少し違うようだった。  「事実、そう考えられますが、奇妙な点がいくつも見受けらるのです」  「奇妙な点?」  直斗は鸚鵡返しする。一体なんだろう。  「まず、先ほど述べた、あなたの正体が知られている件。これが事実なら、結構おかしいのです」  「どういうことだ? 妹の学校が襲撃された以上、俺の正体が判明していることは疑いようがないだろ」  直斗の主張に、ルカは静かに首を振った。白銀の髪が、水面のように煌く。  「それが違うのです。よく考えてみてください。もしも本当にあなたの正体を敵が知っているのなら、わざわざ学校占拠なんてまどろっこしい方法を取ると思いますか?」  ルカはぴしゃりと言う。直斗はルカの顔を正面に見据えた。確信を得ているような真剣な眼差し。  直斗は反論した。  「しかし、現にピンポイントで妹の学校が狙われたじゃないか。まさか偶然だなんていうわけないだろうな」  ルカは再び、首を横に振った。  「武装集団すら容易に動かせる者が、背後にいると仮定した場合、まず根本的に、学校占拠というリスクが高い方法を取るはずがないのです」  直斗の頭に、光が明滅した。ルカの言葉の意味が理解できたのだ。  ルカは直斗の反応を見て、首肯する。体育館の内部から、部活を行う生徒たちの元気な掛け声が耳を貫く。さっきよりも大きく聞こえた。  「あなたの正体が『ロビン・フッド』だと知っている者ならば、その気になれば、わざわざテロリストのような真似を行う必要はありません。直接あなたの妹さんを狙ったり、他の家族を狙ったり、いくらでもあなたを籠絡する方法はあるのですから」  ようやく腑に落ちた直斗は、思わず声を上げそうになった。言われてみれば、確かにその通りだ。  つまり、『ロビン・フッド』の正体が判明していると考えるのは、早合点だということである。  とはいえ、やはり妹が在校する小学校を敵が狙ってきたという揺るぎない事実は存在する。ルカの言うとおり、今回の春日小学校襲撃事件において、色々と奇妙な点が見受けられるのだ。  「俺の正体が知られていないとして、なぜ春香の学校が狙われるんだ?」  直斗の質問に、ルカは微笑んだ。薄い唇の隙間から、吸血鬼特有のやや長い八重歯がのぞく。ルカはすでに答えを用意していたらしい。  「今回の事件の発端には、おそらくテロリスト側が掴んだ一部分の事実が存在すると思われます」  「一部分の事実?」  「テロリスト側は直斗さんの正確な情報は得ていません。住所はおろか、名前も。しかし、なぜか妹である春香さんの通う学校は突き止めています。それらを総括すると、『ロビン・フッド』の関係者が春日小学校にいる、という事実のみがテロリスト側にリークされたの可能性が高い」  「よくわからないな。どこの誰がそんな中途半端な情報をリークできるんだよ」  直斗は腕を組み、首を捻る。ルカの言わんとしていることが理解できなかった。  ルカは肩をすくめる。  「直近の出来事において、我々は思い当たる人物を知っています。正確に言うと直接会ったのは、あなただけですが」  「誰のことだ?」  ルカは綺麗な声で、はっきりと人の名前を口にした。  「袖山明誠」  直斗の脳裏に、軍人のような容姿をした大柄な男の姿が想起された。角刈り頭の、厳つい男で、直斗を籠絡してきた怪しい人物。  「まさか……」  直斗は絶句する。ここであの男の名前が出てくるとは思いもよらなかった。  「あの男が関与していることは間違いないでしょう。彼が死んでしまったため、情報が中途半端に伝わった、と見做すのが妥当だと思われます。そして、おそらく、テロリストの背後に、袖山と繋がりがある何かしらの組織がいるはずです」  ルカが導き出した結論は、ある程度納得できるものだった。というより、今ある材料を元に考えたら、当然の帰結だとも言える。  まるで見てきたようなルカの推理に、直斗は舌を巻いた。異世界人はやはり頭はいいらしい。  直斗はいくつか疑問を口に出す。  「そいつらが俺を狙っているわけか。でも一体、どんな連中なんだ?」  ルカは、ため息をついて首を振った。  「それはわかりません。以前に袖山のことを調べた際にも一切、情報は出てこなかった」  「そもそも、なぜそいつらは『ロビン・フッド』を狙うんだ? テロ行為までやりながら」  「それもわかりません。しかし、やっかいな連中であることは確かでしょう。厳粛に対処しないと破滅を及ぼす可能性があります」  「……」  直斗は考え込んだ。ルカの推理は的を得ているだろうが、結局のところ、状況を打破するきっかけにはならないのだ。  「俺はどうすればいい?」  直斗は一番最初の質問に戻った。大切な課題だ。どうにかして妹を救わなければ。  直斗の切実な問いに、ルカは腰に手を当て、しばし考え込んだ。スタイルがいいので、絵画モデルのような雰囲気が醸し出されている。  やがて、ルカは口を開く。  「一つだけ方法があります」  ルカの好ましい返答に、直斗の心は躍った。やはりこいつは頼りになる奴だと思う。  「本当か?」  直斗は勢い込んで尋ねた。藁にもすがる思いであった。  「ええ。ただし、問題がいくつかあるのです」  「問題?」  直斗は首を傾げて訊く。  「はい。結局のところ、敵はテロリストだけではないということです」  ルカは言う。日が傾き、差し込む夕日にルカの目が照らされ、焔のように光を放っていた。  「どういう意味だ?」  上手く飲み込めず、直斗は訝しげに質問した。  ルカは答える。  「まずは、一から説明しましょう」  血のように赤い夕日に照らされながら、ルカは『作戦』について、説明を始めた。  日が沈みかけた頃、直斗は清見台にある自宅へと帰宅した。  カーポートに車が停まっていることと、家の明かりが点いていることから、両親はすでに家に帰っていることがわかった。電話で受けた話によれば、市民体育館で警察からの説明を受けたはずだが、何かしら有益な情報を得たのだろうか。  玄関を開け、家の中に入る。そのまま居間に直行すると、テーブルを挟んで両親が話し込んでいる姿が目に映った。二人の声に混ざって、居間の中では、点けたままのテレビの音が響いている。  薄子が帰ってきたことを確認した蛍子と辰三は、同時に立ち上がった。  「直斗。帰ってきたか」  父の辰三が、声をかけてくる。徹夜続きのような、どこか疲弊した様子を纏っていた。それは、母の蛍子も同じであった。  「春香は無事なの?」  直斗は開口一番、そう尋ねる。ここにいないということは、まだ学校に捕らわれていることの証左でもあった。  蛍子が沈痛な面持ちで首を振った。  「それが今のところ、安否不明なの。学校内の情報が外に出ていないから」  「そう」  直斗は落胆した。当然とはいえ、警察の不甲斐なさに憤りを覚える。  蛍子は説明を続ける。  「警察の話では、学校を占拠している人たちは、殺した人質を外に運び出して、見せしめのように並べているらしいわ。だから、死体を確認できない人質は、無事である可能性が高いって言ってた」  蛍子の声は、所々震えていた。  「死体を……?」  テロリストの悪辣な行為に、直斗は胸を悪くする。しかし、妹が無事である可能性が示唆されて、少しばかり安堵が訪れた。  「今日、警察の特殊部隊が学校に突入して、人質を救出するらしいが、まだ報告がないんだ」  父の辰三が低い声でそう言った。  「突入?」  直斗は目を丸くする。すでに人質救出作戦が進行していたとは予想外だった。警察なんて、お役所主義的な機関だと思っていたが、どうやらきちんと事件解決に尽力しているようだ。  もしも、これで春香が無事に保護されれば、全て上手く収まるのだが……。ルカが語った『作戦』に頼らずとも、また日常が戻ってくる。  直斗は、蜃気楼のような淡い期待を胸に抱いた。  そのあと、とりあえず三人は夕食をとった。母は朝から事件の対処で大忙しだったはずだが、ちゃんと料理を作っていたらしい。手抜きでもない普段通りの夕食だ。母に感謝を気持ちを覚える。  春香がいない食事を親子三人でとっていると、点けたままにしてあるテレビから、ニュースキャスターの緊迫した声が流れてきた。現在、ワイドニュースが放送される時間帯なのだ。  親子三人は、反射的にテレビへと顔を向ける。テレビ画面には、学校の俯瞰風景が映し出されてあった。  ニュースキャスターの声が響く。  『今日発生した春日小学校占拠事件について、続報です。夕方、警察の特殊部隊が校内へと突入しましたが、犯人たちの手によって過半数が殺害され、作戦は失敗した模様です』  続いて、画面には作戦を実行した警察署の署長の記者会見の様子が映し出された。シャッターの光が驟雨のように浴びさせられる中、髭面の署長は複数のマイクを前に、沈痛な表情を浮かべていた。  『春日小学校を占拠している犯人の中には、異世界人もおり、強大な武力によって、我が書の署員は多数が殺害されました。引き続き、政府と共同体制を整え、人質救出に向けて、尽力する所存であります』  警察署長の声明を聞き、親子三人の間に、落胆した空気が流れた。希望が打ち砕かれ、剥き出しの悲劇が、冷たい風となって親子三人を包んだのだ。  「そんな……。春香ちゃんは……」  母が茶碗を置き、自身の顔を手で覆った。指の間から、雫が流れ落ちているのを直斗は確認する。母は泣いているのだ。  父も痛みに耐えているかのように、苦い顔で腕を組んでいた。  ニュース番組は、さらに新たな情報を伝えてくる。  『人質の安否が気になる中、内閣府から記者会見が発表されました』  テレビ画面に、どこかで見たことのあるスーツ姿の男の姿が映し出された。詳しくは知らないが、内閣府の官僚で、人当たりの良さそう印象を持つ男性だ。  『現在確認されている情報によりますと、春日小学校の生徒から犠牲者は出ていないものの、教師の遺体が複数確認できている模様です。これは占拠犯が校内を占拠する際に犠牲になった方々のみならず、占拠犯の要求であるロビン・フッドの身柄の引渡しが成されないことによる、見せしめの犠牲者もいると思われます』  大勢の記者に囲まれたまま、政治家は会見を続ける。  『占拠犯はさらに犯行表明を出し、明日の昼までにロビン・フッドが正体を明かすか、身柄を引き渡さない限り、今度は生徒の中から犠牲者を選び出すとのことです』  政治家は記者の人間に訴えるようにして、言葉を継いだ。  『よって、内閣府から所望があります。もしも、この会見をアレーナ・ディ・ヴェローナで異世界人と戦った通称、ロビン・フッドが観ていたらお願いがあります。明日の正午までに、我々の前に姿を現して欲しいのです。あの時、人類を救ったように』  やがて、ニュース番組は映像を変え、スタジオ内にいる有識者のコメントに移る。  どこの誰かもわからない有識者も『ロビン・フッド』が正体を明かすべきだとの見解を述べた。  それを観ていた父は、賛同を示す。  「こいつの言うとおりだよ。あんなに強いんだから『ロビン・フッド』は、さっさと姿を見せるべきなんだ。そもそも、そいつが今回の事件の元凶なんだから」  本物の『ロビン・フッド』を前に、父は憤った。怒りの矛先は、学校を占拠しているテロリストよりも、世界を救った英雄に向けられているらしい。  「……私もそう思うわ。もしも春香ちゃんが殺されたら、『ロビン・フッド』を一生許さない」  泣いていた母も、小さく鼻をすすりながら、父の意見に同意した。  直斗は、二人に気が付かれないよう、静かに息を吐く。そして、ルカが述べた『作戦』について、思いを巡らせた。  こうなったら、もはや、ルカが提案した『作戦』に期待を寄せるしかない。話を聞いた限りでは、薄氷のように危ういが、このままでは自分も妹も破滅を迎えるだろう。  直斗は食事を早々に済ませ、椅子から立ち上がった。  春日小学校が占拠され、ほぼ二十四時間が経過した。  李天祐は、千代田区にある自身所有のビルの一室にて、複数台設置されてあるモニターを前にして座っていた。  部屋には他にも様々な機材が置かれてあり、さながらテレビ局の編集室のような様相を呈していた。  モニター画面は、直接ハンディカメラで撮影したような映像や、監視カメラのような映像で大半が占められていた。  それらに共通して映っているのは、まだ幼い子供たちだ。  子供たちは多目的ホールへと集められ、身を寄せ合うようにして座っている。それを武装した大人たちが、複数人、取り囲むようにして立っていた。中には、獣が人間化したような姿の者も散見される。  『人質』として集められた子供たちのほとんどは、春日小学校の学年五年生だ。その他の学年の子供は、管理に支障が出るので、開放してあった。  残された子供たちには、疲弊の色が濃く現れている。このまま立てこもりが続けば、命に関る者も出てくるだろう。  李天祐は、モニター越しにその光景を眺め、ほくそ笑んだ。ここまでは順調である。当たり前だが、マスコミたちはダボハゼのごとく食い付き、小学校の外観や周辺を絶え間なく撮影していた。  それら複数のカメラは、自身が保有する『警備会社』の部下や、協力体制を敷いている『上海幇(シャンハイバン)』、『新義安(サン・イー・オン)』の戦闘員が装備しているボディカメラとは別の、もう一つの『眼』として機能していた。  これでは、猫一匹だろうと、校内に侵入されれば、たちまち姿が世界中に晒されるだろう。ヘリコプターからの映像もある。相当遠方でも、ワンショットでの撮影が可能だ。  現在もモニターのいくつかは、各テレビ局の番組をリアルタイムで映してあった。  李天祐は、モニターを操作し、運動場の映像に切り替える。そこには、人間の死体が魚市場の魚のように並べてあった。  この死体たちは、今回の占拠事件の犠牲者だ。春日小学校の教師や、昨日、学校へ突入した特殊部隊員である。  目立つように運動場に晒しているのは、『見せしめ』のためだ。これはもちろん、いまだ正体不明の『ロビン・フッド』に対する警告である。このまま隠れ続ければ、いずれお前の関係者と思しき小学生も犠牲になるぞ、とのメッセージを込めていた。  李天祐はしばらくの間、モニターを操作し、異常がないか確認を行う。依然、校内は武装した男たちが何人も点在し、戦場の風景のような物々しい有様だった。  たったこの環境だけでも、小学生にとっては、苛酷なストレスを感じることだろう。もっとも、それが狙いでもあるが。  やがてモニターのチェックが終わり、李天祐は、手元に置いてあるスマートフォンに目を落とした。  時刻は午前九時を迎えようとしている。今日は平日なので、本来はこの小学校も開校されているべきなのだが、現在邪魔者が『来客中』なので、無論、そうはいかない。臨時休校真っ盛りである。  李天祐がスマートフォンから目を離した時、モニターの隣に設置されてあるビデオデッキのような機材から、音が発せられた。  これは、デスクトップ型の広域受信機である。デジタル無線対応であり、春日小学校を占拠している隊員とのやり取りに利用していた。  声の主は、占拠部隊のリーダーであるアルティオスだ。熊のような厳つい容姿の異世界人。  こいつは所謂、個人傭兵の部類に属し、『戦い』で生計を立てている戦闘屋である。ゆえに、戦闘能力に関しては折り紙つきであった。  また実績も豊富で、例の『扶桑高校襲撃事件』に関与したチュポエウスなる異世界人をも上回る実力を誇るという。  アルティオスは、守銭奴的な側面があり、こちらの世界に渡ってきたあと、利用価値が高いということで、中国マフュアに肩入れするようになった。  その影響により、現在李天祐の元、協力者として動いているのだ。報酬は『ロビン・フッド』の賞金の一割か、もしくは三億ルーグ。ルーグの単価は、日本円とほぼ等価なので、約三億前後が彼の要求する金額となる。  李天祐は、マイクを手に取り、通信へと応じた。雑音が一切ないクリアな音声が、スピーカーから流れる。  『アルファに連絡。現在、日本政府からの取引の要請があった。金銭と引き換えに、人質を解放せよ、とのこと。どうするか』  アルティオスは、流暢な日本語で伝えてくる。アルティオスは、こちらの世界の言語をネイティブのように使えていた。    『無視して構わない。我々の目的はあくまでロビン・フッドだ。引き続き、ロビン・フッド及び、その他の侵入者に警戒せよ』  『了解』  通信は途絶えた。同時に、モニターに目を移すと、アルティオスが他の隊員に指示を出す姿が映っていた。どうやら司令室として使っている校長室にいるらしい。  李天祐は、そのあと、スマートフォンで雨宮と連絡を取り、いくつか打ち合わせを行う。彼は予定通り、清見台にあるビルのマンションで待機をしているようだ。  電話を終えると、李天祐は少し遅めの朝食を取った。冷凍の中華丼だが、現在の正念場、少しでも栄養は取らなければならない。  朝食を済ませ、手元の書類を処理していると、再びアルティオスから通信が入る。異世界人のリーダーの声は、敵意を前にした時のように、どこか固かった。  『アルファに告ぐ。標的らしきものが出現した。運動場の南側だ』  李天祐の神経が、一気に昂ぶった。弾かれたように手を伸ばし、モニターを操作する。  運動場の南側入り口を捉えたモニターには、確かに一人の人間が映っていた。  土埃が舞う中、その人物の風体が確認できる。緑のマントに、黒色のインナーと黒のズボン。まさにアレーナ・ディ・ヴェローナで見た、『ロビン・フッド』そのものである。  とうとう『獲物』姿を見せたのだ。『DC会議』が狙う大きな餌。  李天祐は快哉を上げた。  御神龍司は、扶桑高校にある理事長室にて、壁掛けの液晶テレビを前に、腕を組んで立っていた。  目線の先は、現在、リアルタイムで放送されている報道番組だ。  『ご覧下さい。春日小学校の運動場に、ロビン・フッドらしき人物が姿を現しました。一年前、世界を救って以来、初めて我々の前に姿をみせます。果たして、ロビン・フッドは人質を救うのでしょうか』  アナウンサーの緊迫した声を聞きながら、御神は小さく息を吐いた。  雨宮勇一と李天祐が仕掛けた罠。そこに『ロビン・フッド』は、のこのこと現れた。世界中が注目する中にも関らず。  ここまでは、二人の思惑通りのはずだ。あとは、これからどう転ぶか。成功か破滅か。  お手並み拝見といこうか。  御神は静かに笑みを浮かべた。
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