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第十三章 《森の魔法》アルティオス・ヴァルテ
アルティオス・ヴァルテは、運動場に姿を現した人物をモニター越しに確認しつつ、歓喜に震えていた。
とうとう本命が出てきたのだ。大金を担いだ好餌が。
アルティオスは、自身の大きな舌で唇を舐めると、無線機に向かって声をかける。
「デルタチーム、貴様らは運動場の南側に近い。『ロビン・フッド』の元へ急行しろ。警告なしで攻撃して構わない」
すぐに、耳に取り付けたインカムに『了解』の返答が届く。デルタチームのリーダー、トルクのものだ。
トルクは、猪姿の頼れる男。昨日、突入してきた警察機関の特殊部隊の大半を殺した奴だ。デルタチーム自体も、異世界人のみで構成される剛の者たちである。
通信が終わると、アルティオスは、司令室と化している校長室の窓を開け放ち、外を一望できるようにした。
遠方に運動場が見える。そこに、緑色のマントを羽織った人影が佇んでいることが確認できた。
ここからなら『ロビン・フッド』の動向が、監視カメラを介せず、直接視認が可能なのだ。
おまけに私は『目』が良い。双眼鏡すら必要なかった。
アルティオスは、他のチームにも指示を出す。トルク率いるデルタチームが『ロビン・フッド』への対処に急行する中、フォローを行う部隊も必要だった。なにせ、相手は目標そのものだからだ。
現在、最高指揮官であるアルファこと、李天祐からの特別な指示はなかった。ということはつまり、事前に説明を受けている『作戦』を遂行せねばならなかった。
『デルタ隊、目標に接近』
インカムから、トルクの声が聞こえる。校長室から把握できる視界内でも、武装をした兵隊たちが八名ほど、運動場の粗い砂の上で佇んでいる『ロビン・フッド』を囲み、銃を突きつける姿が確認できた。
しかし、それでも『ロビン・フッド』は、依然、身じろぎ一つしない。アルティオスはふと疑問を覚える。なぜ奴は出現当初から、何のアクションも取らず、その場に突っ立っているのか。
『チームベータ、指示を願う』
トルクの刺すような声が飛び、アルティオスははっと我に返った。慌てて、無線機を手に取り、口に当てる。
「銃を突きつけたまま、標的へ顔を晒すよう言え。奴の素顔をボディカメラへ収めるんだ」
『ロビン・フッド』は、アレーナ・ディ・ヴェローナの時と同様、顔にマスクとサングラスを付けていた。
そのせいで、素顔の確認ができない。素性を暴くなら、それらを取り去らなければならなかった。
やがて、トルクの恫喝するような声が、インカムを通じ、耳を貫いた。
『そこの者。マスクとサングラスを取れ。さもなくば射殺する!』
しばらく、沈黙が訪れた。『ロビン・フッド』には一切の動きがみられない。校長室から注視している光景でも、まるで時が止まったかのように、双方とも硬直していた。
アルティオスは、眉根を寄せる。何かがおかしい気がした。アレーナ・ディ・ヴェローナで目撃した『ロビン・フッド』と姿は瓜二つであったが……。
遠方に双方を捉えたまま、トルクへ追加の指示を出そうと無線機に手を掛けた時だ。『ロビン・フッド』に動きがあった。ほんの些細な動き。何の特色もないアクション。
奴はハエを払うように、手を振ったのだ。
次の瞬間、アルティオスは目を見開いた。『ロビン・フッド』を取り囲んでいたトルクたちが、一斉に『弾け飛んだ』のだ。さながら、透明な大剣にでも切り付けられたかのように、手足は千切れ、胴体は両断され、肉片と内臓を撒き散らしながら、八人は声すら上げることなく、一瞬にして肉塊となった。
そして、一人残った『ロビン・フッド』は、血溜まりの中、校舎のほうへ向かって歩き出した。
アルティオスは、唖然としつつ、無線機に向かって指示を出す。
「今だ。やれ」
すでに、校舎の屋上へと待機させていた狙撃主。二キロ先のコインすら撃ち抜ける部下は、とっくに『ロビン・フッド』を『必殺』の圏内に捉えていた。
アルティオスの命を受け、すぐに発砲音がこだまする。一度。二度。三度。
標的までの距離は、五百メートルもない。死の弾丸は、確実に『ロビン・フッド』を貫くはずだ。
だがしかし、奴はそよ風に身を任せるかように、意に介することなく、歩き続けていた。
アルティオスは、最初、弾丸が外れたのかと思った。名スナイパーは緊張で、標的を射抜くことができなかったのだと。
だが、違った。『ロビン・フッド』は次にとある行動を取ったのだ。それの意味を理解し、アルティオスは身を震わせた。
奴は手の平を開いた。双眼鏡を遥かに超えるほどの優れた『目』を持つアルティオスは、その手の平の上にある物体を捉えていた。
パチンコ玉ほどの大きさのくすんだ塊。それは鉛玉だった。おそらく、狙撃によって使われた弾丸――。
信じられないことに、『ロビン・フッド』は、狙撃された際、自身に迫った弾丸を空中でキャッチしていたのだ。アルティオスの目すら認識できないスピードで。
そして『ロビン・フッド』は、弾丸を持った手を投擲するようにして、振った。その方角は、待機させている狙撃主がいる屋上のほうだ。
インカムから、小さなうめき声が聞こえた。狙撃主のものだとアルティオスが気づいた時には、すでに遅かった。
「狙撃主。応答しろ」
しかし、返答はない。無言のままだ。
アルティオスは絶句する。どうやらやられてしまったらしい。『ロビン・フッド』は、先ほキャッチした弾丸を『お返し』するという芸当をやってのけたのだ。五百メートルほど先の、屋上にいた者に対し、投擲だけで――。
そして『ロビン・フッド』は、散歩でもしているような風情で、悠然と歩き、やがて南校舎のほうへ姿を消した。
「標的が校舎へと侵入した。奴は紛れもなく、例の『ロビン・フッド』だ。各自、厳格に警戒せよ」
そして、アルティオスは続けて指示を出す。
「倒すことは考えず、カメラに姿を収めることを優先しろ」
第一の目標が、奴の姿の暴露なのだ。素顔さえ捉えられれば、こちらの勝利である。いくら犠牲を重ねようとも、目的に変更はない。
インカムに各チームの返事が届き、『ロビン・フッド』への対応が取られ始める。
「私についてこい」
アルティオスも装備を整え、待機していた部下に声をかけた。そして、部下を引き連れて、校長室をあとにする。
のしのしと大股で廊下を歩きながら、アルティオスは、先ほど『見物』した『ロビン・フッド』の戦闘を頭に想起させていた。
紛れもなく、あいつは『ロビン・フッド』だと断言できた。フードやマスクのせいで容貌が確認できないにも関らず、そう確信を持つのには、理由があった。
一年前の決闘の日、アルティオスはアレーナ・ディ・ヴェローナで観客としていたのだ。そのため、直接『ロビン・フッド』を目で見て確認している。
アルティオスの優れた『目』は、魔素を見分けることが可能だ。アルティオスが持つ、限られた特性。
これは誰も(一部の者は除き)言及していない点だが、『ロビン・フッド』の戦闘に際し、魔素が発生していない事実がある。言い換えれば、『ロビン・フッド』は魔法を使っていないのである。
これは前代未聞の事実だ。あの強力無比な力を、魔法もなしに顕在化しているということである。
原理は不明で、例もないことから、『ロビン・フッド』を捕らえて解析でもしない限り、出所は判明しないが、逆にその特徴が『ロビン・フッド』を見極める根拠ともなるのだ。
運動場で相対した部下が一蹴された際、アルティオスは、奴から魔素を確認していない。そのため、魔法が使える異世界人や、魔具を行使している人間が『ロビン・フッド』に化けている可能性は存在せず、必然的に、奴が『ロビン・フッド』だと断定できるのだ。
アルティオスは、二階に上り、多目的室へたどり着く。入口で警戒している二名の部下が敬礼を行う中、アルティオスは扉を開けた。
通常の教室よりも、数倍は広い多目的室内には、大勢の子供たちがいた。一学年ほどの数で、全部が五年生だ。
中央付近に集められ、身を寄せ合うようにして座っている。
この子供たちが、今回の襲撃事件の肝心要の存在、いわば人質兼、交渉材料である。奪還されるわけにはいかないので、特に厳重に警備してあった。
アルティオスは、子供たちを見回す。このどこにでもいるような平凡な子供たちの中に、『ロビン・フッド』と繋がりがある者がいるのだ。
だがしかし、その者を特定できていなかった。全員に『尋問』してみたが、収穫はなし。信じられないことだが、子供でありながら該当者は、隠蔽を貫いているということだ。
多目的室に入ってきたアルティオスを見て、子供たちは一様に怯えた表情を浮かべた。『尋問』の際の恐怖を思い出しているのだろう。
『尋問』を行った時の、子供たちの反応も、通常の子供のそれであった。全員、漏れなく演技ではない恐怖を感じており、例外はなかった。ゆえに、もう一つの可能性として、該当者は『ロビン・フッド』が身近にいることを知らない可能性があった。
――もっとも、『ロビン・フッド』の関係者だと自覚していての『尋問』に対する反応ならば、該当者も通常の子供の域を脱した、異常な存在になってしまうだろうが。
その時である。インカムから部下たちの声が聞こえた。『ロビン・フッド』討伐に動き出していた部隊だ。
『こちらイータチーム。ロビン・フッドを発見した。これより攻撃を加える』
少ししてから、遠くから発砲音が響いてくる。位置的には南校舎から東校舎に繋がる渡り廊下付近だろう。おそらく『ロビン・フッド』は、地道に自らの足で人質を探しているのだ。
そして、展開している部隊の一つと会敵した――。
一連の出来事から、どうやら『ロビン・フッド』は、索敵に類する能力を保有していないことが示唆された。
これは、有益な情報である。
「繰り返す。標的の素顔をカメラに収めることを優先せよ」
アルティオスが指示を出す。だが、応答がなかった。砂嵐のような雑音のみが聞こえる。
「どうしたイータチーム。返答せよ」
やはり、なしの礫。無視したかのように無言が続く。気がつくと、銃声も止んでいた。
アルティオスは、眉根を寄せる。イータチムもやられたようだ。会敵して、ものの数秒である。その間に標的は、武装したプロの戦闘員数名を、一瞬で全滅させたということになる。
これは最早、手段を選んでいる場合ではなさそうだ。『任務失敗』という憂き目に遭うばかりか、こちらの命も危ぶまれる可能性すらあった。
「一人、子供たちの中から立ち上がらせろ」
アルティオスは、自身に付き従っている部下に命令を下す。命を受けた部下は、一人の子供を選出し、強引に立たせた。
立たされた子は、チェックの切り替えスカートを着用した少女だった。
この少女は、これから利用される供物である。子供たちのどこかに『ロビン・フッド』の知り合いがいるらしいが、見極められない以上、適当に選ぶしかなかった。
少女は、生まれたての小鹿のように震えていた。これから自分は何をされるんだろう。そういった怯えと恐怖が露骨に感情となって、幼げな表情を彩っていた。
すると――。
「私が理衣ちゃんの代わりになります」
一人の少女が、集団の中から立ち上がった。三つ編み頭の女の子である。
おそらく、理衣と呼んだ少女の友達なのだろうが、随分と気丈なものだと思う。わざわざ身代わりを買って出るとは。
アルティオスは一瞬悩むが、殊勝な少女を前に、彼女の提案を承諾した。下手に怯えている者を使うより、従順な者を使うほうが効率は良さそうだと判断したためだ。
チェック柄のスカートの子と三つ編み頭の子が、入れ替わる。三つ編みのほうは、やはり、さほど怯えはなさそうだった。
何はともあれ、準備は整った。
アルティオスは、怒声にも似た大声で指示を下す。
「私に付いてこい!」
そして、多目的室の戸口へと歩き出した。
何としてでも、目的は達成してみせる。『ロビン・フッド』がなんだというのだ。金と自身の名誉がかかっている。必ず仕留めてやろう。
アルティオスは、闘志をみなぎらせた。
休み時間に突入し、扶桑高校の生徒たちは皆がスマートフォンを片手に沸き立っていた。
興味の矛先は、近隣地域の建物で起きた立てこもり事件。その続報である。
テロリストとおぼしき者たちの手によって、春日小学校が占拠されたのが昨日の午前中。それが今朝、大きな進展があったのだ。
テロリストたちの目当ては『ロビン・フッド』。一年前、世界を救った英雄。
驚くべきことに、その『ロビン・フッド』が姿を現したのだ。だが、テロリストたちが要求する身柄の引渡しや、正体の暴露には応じず、その場に駆けつけた武装したテロリストの一味をあっさりと殺害せしめたのだ。
その様子は、テレビ局のカメラにしっかりと収められていた。リアルタイムで放映され、日本中に大きな衝撃を与えた。そして、これから攻勢一転するのだと、皆が期待を寄せた。
その光景は、一年前のアレーナ・ディ・ヴェローナでの決闘を想起させた。
扶桑高校に通うバスケ部所属の小黒裕也は、クラスメイトの友人たちとスマートフォンでニュースの実況放送を観ていた。
小学校の運動場に現れた『ロビン・フッド』が、迎撃に動いたテロリストの一味を一蹴し、屋上のスナイパーすら倒したあと、校舎内に姿を消したのが、直近の展開だった。
裕也は興奮を覚えながら、その映像を友達と一緒に盛り上がって観ていた。『ロビン・フッド』が介入した以上、事態は急速に解決の方向へ動くだろう。
世界を救った英雄は、そう確信を与える力があった。
ゆえに、エンターテイメントを観る気分で、テレビ実況を見物できるのだ。
「動きがなくなったな」
隣で、同じようにスマートフォンの画面を見つめていた友人の柳田俊一が、残念そうに呟いた。
「ああ」
裕也は返事をしつつ、教室内を見回した。
クラス内のほとんどの者が、今自分たちがやっているように、スマートフォンに視線を落としていた。ワールドカップでも開催されているような有様だ。
無関係の者からすれば、まさに一種の娯楽である。結局は他人事なのだ。その点は、世界の命運が賭かっていたアレーナ・ディ・ヴェローナの時とは違う部分であった。
しかし、当事者や関係者となれば、そうはいかない。アレーナ・ディ・ヴェローナで世界中が恐怖に慄いたように、今も人質となった小学生たちの親や兄弟たちは、戦々恐々としているのだろう。
裕也は、教室を見回しながら、その『関係者』の姿を探した。休み時間が始まると同時に、教室を出て行ったっきり、姿が見えなくなった友人。
篠崎直斗は、いまだ戻ってきていないようだ。
ちょうど直斗が教室を出て行ってからすぐに、春日小学校に『ロビン・フッド』が姿を見せたため、直斗は今の状況を知らないということになる。
「ねえ、直ちんどこいったの?」
クラスメイトの女子である神崎志保が、話しかけてくる。彼女も裕也たち同様、直斗の友人であり、同時に彼を気にかけている人物であった。
「わからない。休み時間が始まってからすぐに教室を出て行ったけど、まだ戻ってきてないな」
「具合でも悪いのかな?」
妹がテロリストの人質になった挙句、一昼夜が過ぎ、いまだ救出に至っていないのならば、体調不良になるのもおかしくはないだろう。
「ウンコでもしてんじゃないのか? 色々溜まっているみたいだし」
俊一が呑気そうに言う。狐のような細い目は、今もスマートフォンに向けられていた。
「ちょっと。茶化すのは止めなよ」
志保が薄い唇を尖らせ、たしなめる。
「別に茶化しているわけじゃあ……」
俊一はようやく顔を上げ、ばつが悪そうに、マッシュルームカットの頭を掻いた。
「直ちんの前じゃあ、絶対変なこと言わないでよね。昨日からずっと落ち込んでいるんだから」
「わかってるって」
俊一はため息混じりに頷く。母親のような志保のお人好しぶりに、舌を巻いているのだろう。
裕也は、場を取り直すために言った。
「でも、『ロビン・フッド』が現れたから、もう大丈夫じゃないか? 一年前の時みたいに、すぐに解決してくれるだろ」
「そうさ。なんたって『ロビン・フッド』は英雄なんだ。全て任せてオッケーさ」
俊一が調子良く言う。こいつの優柔不断さというか、粗忽さみたいなものは相変わらず健在だ。そう言えば、異世界人であるルカやレイラが転校してくる際にも、強く警戒心を露わにしていたが、すぐに懐柔されてしまっていた。
異世界との交流を推進し、転校生受け入れを提案したのは理事長である御神龍司だが、おそらく生徒の大半がそうなることを見越していたのだろう。
結局、レイラは行方不明になり、責任者である御神は、非難に晒される立場となったが、扶桑高校襲撃事件――あのおそろしい化け物たち――などのイレギュラーが重なり、幸いにもその矛先は逸れる結果となっていた。
裕也はふと思う。いまだにレイラは行方不明だが、一体、どこにいるのだろうか。殺されているとの噂もあるが、彼女は人間を遥かに凌駕する『武力』を持っている。そう簡単に彼女を殺害できる者はいないはずだ。
そして、それは同じ転校生であるルカにも言えることである。
考えてみれば、色々と自身の周りで不可解な出来事が多く起こっている気がする。いや、違う。俺じゃない。正確には、友人である篠崎直斗の周りで、だ。
レイラは、直斗に好意を寄せ始めてから行方不明になっているし、同じ転校生であるルカもルカで、なぜか直斗と友人のような関係を結んでいた。さらに、直接的には関係ないが、近隣という意味では、大田山の異変もある。
それから異世界人の襲撃事件に、そして、今回の立てこもり事件。
おそらく、全てただの偶然に過ぎないだろうが、ほとんどの出来事が直斗に何かしら繋がりのある『異常事態』となっていた。それに気づいているのは、友人である自分くらいだろう。
そもそもの発端である御神龍司理事長は、多分、そこまでの詳細は掴んでいないはずだ。特に直斗のような目立たない生徒の情報など、まずは耳に入ってこないに違いない。
だが、今回の立てこもり事件を契機に、理事長も直斗のことに注目する可能性はあるかもしれない。
「直ちん、本当に遅いね」
志保が教室の戸口を眺めながら言った。
「もう授業始まっちゃうよ」
裕也は教室の時計を確認する。すでに針は、授業開始の時刻を指す寸前だった。志保の言うとおり、このままでは授業に遅れてしまうだろう。
直斗は何をしているのか。まさか、さぼりだとか、学校を抜け出したとかではあるまい。不良行為とは一切無縁の、絵に描いたような真面目な友人なのだ。
実際、志保が言及したように、具合が悪くなった可能性がある。そうだったら、友人として手を貸して然るべきだろう。
「トイレにいるかもしれない。ちょっと探してくるよ」
裕也が立ち上がろうとした時、俊一が大きな声を上げた。
「小学校の事件、また何かあったみたいだぞ」
俊一が持っているスマートフォンを覗き込むと、屋上で『ロビン・フッド』がテロリストと一戦交えている光景が映っていた。ヘリからの俯瞰映像だろう。
武装しているので分かりにくいが、『ロビン・フッド』と戦っている連中は、異世界人らしき姿の者と、人間らしき姿の者がいるようだ。
扶桑高校襲撃事件とは違い、襲撃犯たちは人間と異世界人の混成パーティらしい。
「あ、敵が全滅したみたいだ」
屋上で応戦していた武装集団は、あっという間に床へ倒れ込んでいた。『ロビン・フッド』の強さも健在のようだ。
「この調子じゃあ、テロリストの奴らを全員倒すのも時間の問題だろうな」
俊一は、報道番組のコメンテーターのように、知った風な口調でしみじみと呟いた。
それと同時である。聞き覚えのある声が耳に届いた。
「なにか進展あった? 『ロビン・フッド』が現れたらしいけど」
「あ、直ちんおかえり」
直斗がようやく教室へと戻ってきた。『ロビン・フッド』のことを知っていることから、直斗もどこかでニュースを観ていたようだ。
「その『ロビン・フッド』が、敵を順調に殲滅中」
俊一がスマートフォンを掲げた。画面はちょうど、『ロビン・フッド』が、屋上から地上まで飛び降りる姿が映っていた。漫画のキャラのような行動だ。なんて奴だと思う。
「おー、すごいじゃん。さすが『ロビン・フッド』」
直斗は目を丸くし、感嘆のため息をついた。
「今日中に事件は解決するかもな。お前の妹も救出されるぞ」
「それはありがたい。早く春香に会いたいよ」
直斗は目を輝かせた。
直斗は思いの外、落ち着き払っているようだった。いくら『ロビン・フッド』が現れたとはいえ、実の妹の安否はまだ不明である。不安は付き纏っているはずだ。
それだけ『ロビン・フッド』に対し、信頼を寄せていることの証なのだろうか。直斗の口から直接『ロビン・フッド』の話題が発せられることは稀であったが……。
「今までどこにいたの?」
「ちょっとお腹痛くて、トイレにこもっていたよ。もう大丈夫だけど」
志保の質問に直斗が答えると、俊一が声を張った。
「ほら俺の言ったとおりじゃん。何が茶化すなだよ」
俊一が唇を尖らせる。同時にチャイムが鳴り響いた。
その時だった。実況放送を映したままであった俊一のスマートフォンから、アナウンサーの音声が聞こえてきた。とても切迫した様子である。
『春日小学校の正面玄関に、学校の占拠犯の一味と思われる三名の者が、姿をみせました。一人は熊のような外観の者であるため、異世界人と思われます、背後に、一人の子供を連れてきています』
直斗をはじめ、その場の全員がスマートフォンの画面に釘付けとなった。
映像には確かに、小学校の玄関と、三名の武装した者たち、そして背後には一人の女子児童が映されていた。
だが、奇妙な点がある。犯人たちは手に、フリップボードのようなものを掲げていた。まるでデモの最中のように。
おそらく、スケッチブックを使っているのだろう。やつらは何かを伝えるつもりだ。
そこには、日本語でこう書かれてあった。
『ロビン・フッドに告ぐ。いますぐ素顔を晒して、玄関まで来い。そうしなければ、今ここにいる子供を殺す』
そして、アナウンサーがこの世の終わりかのような口調でまくし立てる。
『ロビン・フッドを捕らえられないため、犯人側は一人の子供を盾に、要求を突きつけているようです』
「おいおい。マジかよ」
俊一が驚いたように言う。
とうとう人質の子供たちが殺されていく。悲惨な展開を迎え、視聴者は、なすすべもなく見守ることしかできないのだ。
この状況を打破できるのは『ロビン・フッド』しかいなかった。
「春香……」
そこで、隣にいた直斗がポツリと呟いた。
直斗を見ると、彼の顔は青ざめていた。
李天祐はビルの一室にて、春日小学校の映像をモニタリングしつつ、順調に計画が推移している様を満足気に眺めていた。手には、老酒。酒齢十年の上海老酒で、すっきりとした飲み口と深みのある風味が気に入っている一品だった。
グラスを傾けながら、李天祐は深く吐息を漏らす。
『ロビン・フッド』の手によって、部下たちの命が容易く奪われるのは、想定の範囲内だった。現在の時点で、結構な数が減ってしまったが、何の問題なかった。
あとは……。
李天祐は、小学校の正面玄関で『ロビン・フッド』を待つアルティオスの勇猛な姿をモニター越しに確認する。
恐るべき獣人。『森の魔法』を行使する怪物であり、実力者。今回の『作戦』において適任であるため、自身の目で見繕い、抜擢した逸材である。
アルティオスは、忠実に任務を遂行しているようだ。このままいけば、『ロビン・フッド』の容貌を拝むことが可能だろう。
再び老酒を一口飲んだ時、アルティオスの声が部屋内に響き渡る。
『アルファに告ぐ。標的が現れました』
李天祐は、アルティオスのボディカメラの映像に目を向けた。カメラは、正面玄関のアスファルトの上に、緑のコートを着た一人の人間が立っている様子を正面から捉えていた。
とうとうお出ましか。
李天祐は無線を手にし、指示を出す。
『手筈どおりに行動せよ。相手はロビン・フッドだ。くれぐれも油断をするな。人質を盾にすることを優先しろ』
『了解』
アルティオスの返答が聞こえ、すぐさま画面内で動きが生じる。
人質となった子供をアルティオスが背を押すようにして、前へと突き出す姿が見えた。
子供は三つ編み頭の女の子で、JENNI系の服を着ていた。多目的ホールで、友達を庇い、人質に志願した勇敢なる少女である。
しかし、いざ本番となると、勇敢な心はへし折れたようだ。彼女は心底怯えきっており、泣きじゃくりながら、嗚咽と共に子犬のごとく震えている。
その子供の首を掴んだまま、アルティオスは、大地が揺れるような深い大声で叫ぶ。
『ロビン・フッドに告ぐ。その場でマスクとサングラスを外せ。素顔を外に晒すんだ。そうしなければ、この子供を殺す』
アルティオスの凛々しい脅迫の声を聞きながら、李天祐はいよいよ正念場が訪れた戦場の光景を注視した。
これで『ロビン・フッド』は指示に従うほかないだろう。すでに結果は見えている。
李天祐は老酒を一気に飲み干した。
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